われわれがそれを行う前に、誤解されることを見抜いたり邪推したりするために、どんなに多くの純粋に個人的な行為が中止されることであろう! 曙光 529 前半
まれに、自分で「交渉上手だ」と思っていながらも、結局損をしている人がいます。
確かに「厚かましいお願い」でも、プラス10%くらいのオマケなら、ゴリ押しで何とかなります。
でも短期的には得をしても長期的に見ると損をしている人が案外多いのです。
「厚かましいお願い」やゴリ押しで、その場は得しているように見えますが、結局大きなものを失うという感じになっていきます。
ということで、ひとまずゴリ押し営業・詐欺的営業や「それくらいサービスしろよという貪り」について触れていきましょう。
ゴリ押し営業・詐欺的営業
できる営業職の人、つまり営業成績のいい人の中には、「ゴリ押し」タイプの人だったり、「詐欺師」のような人たちが少なからずいます。
そうした人たちは、どうも心が荒んでいる人しかいないように思います。
空威張り、空元気という感じで、荒稼ぎした「営業手当」で豪遊などをしないと精神のバランスが保てないというような人しか見たことがありません。
結局歪んだ分だけ何かでバランスを取らないと精神が崩壊してしまうのでしょう。
でもこうした人たちは法律スレスレどころか、完全にアウトであることが多く、本来は犯罪の領域にすら入っているのに、企業としては収益源の確保が必要なため、黙認し、トラブルがあれば庇うくらいの姿勢であることがほとんどです。
仮に100件に一件くらい訴訟になり、大金が持って行かれたとしても、99件分の収益のほうが圧倒的に持って行かれる金額より大きいため、「トータルで見ると利益が出る」ということで、こういうことになっています。
ブラック労働環境も同じ
こうした構造は、ブラック企業の労働環境でも同じで、仮に過労死の人が出たとして、その人の家族への賠償金が1億円くらいだったとしても、1万人の従業員の「残業代未払い分」の利益の方が高いから、いつまでもなくならないのです。
1万人の賃金のうち、月1万円をくすねる形で貯めておけば、表現は悪いですが、1ヶ月で「過労死一人分への対応費用」がまかなえてしまいます。
残業代未払い分などもっとすごい金額ですから、それどころではないですけどね。
たとえ100人の会社でも、全員に月100時間タダ働きをさせれば、平均時給1000円(とりあえず割増分は考えずにいきましょう)でも一人10万円、100人で1000万円です。1年で1億2000万円の余裕が出ます。
そういうわけで、「文句を言ってきた人」にだけ対応しているほうが安く済むという構造になってしまっています。
いちおうこうした構造のまま運営しておいて、辞めていく人などに訴訟を起こされ、未払賃金とかプラスアルファの損害賠償を払っている方が、トータルで儲かってしまう、ということになります。
ただ、数字で見るとこんな感じですが、そうしてブラック企業が一見得をしているように見えても、もっと長期で見るとなんだかんだで損をしていきます。
同じ手が通用しなくなる
若干ブラック要素のある業種の人に聞いた話ですが次のようなケースが増えてきているそうです。
「人が集まらない。バイト募集すら応募がない」
以前までは、求人フリーペーパーに広告を出せば集まる時代でした。
特に僕たちの世代は、社会の歪みをダイレクトに受けた世代で、「その場しのぎ」が延々と続いた時代でした。
アルバイト扱いで、スキルも何もつかないのに責任だけ負わされ、正社員ともなると、「バイトに降ろすぞ」という脅迫のもと、過労死寸前まで過酷な労働環境を強いられてきた世代です。
実際に、僕の同級生で数人過労死した人がいます。
そのうち1つは、弁護士や社労士なら誰でも知っているような、すごく有名な事件ですが、ここではひとまず置いておきましょう。
ところが世代が変わり、情報化社会の影響もあってか、ブラックはすぐにブラックだと見抜かれ、「そもそも受けない」とか、「入ってもすぐに辞める」ということになっています。
会社に入社してすぐに辞める人のことを非難する人もいますが、僕はそれでいいと思っています。
ブラックなら当然ですし、普通の会社であっても相性というものがあります。
基本的に文化系が体育会系の職場に行ったら地獄ですし、逆に体育会系が文化系の職場に行っても地獄です。
と、脱線しかけましたが、「結局損をする」ということで、こうした採用の問題は当然の流れですし、もっと個人レベルでも、「厚かましさという成功法則」は、細かなところでは得をしているようでも、結局損をしているということがよくあります。
それくらいサービスしろよという貪り
いちおう人間は感情で動いています。
そして、買い手にも感情があれば、売り手にも感情があります。
さらに、世の中では、「表面上の取り決め以上のこと」で結構成り立っている部分があります。
先日「耳をもたない賢明さ」で触れていますが、世の中では理不尽な要求をしてくる人がいます。
あの時の例であれば、「化粧品販売店」に対して「自分が持っている像」やそれに対する「自分都合の常識」を全面に押し出して、根本的なサービス内容、サービス形態を勝手に押し付けてくるというタイプの人です。
不況の煽りを受けてか、日本のサービス業なども誇りを無くし、「下手に出る」ということを繰り返してきたせいか、消費者側の横暴がより加速してしまいました。
しかし、ここで気付いてもらいたいのですが、「ブランド」というのは「敷居が高い」という部分がブランドの要素のはずです。
ということで、バブル以後の日本は、まるで逆のことをやり続けてしまったということになります。
先の例で言えば「お引き取りください」というのが正しい姿です。
そして、理不尽な要求をしてくる人は、短期的には本来もらえないはずのものがもらえたりしますが、「来てほしくない客」としてリストアップされます。
どんなお店や、どんな企業であっても、担当者とお客側との間で「仲良しである」という要素があれば、サービス内容・契約内容以上のことを勝手にやってくれるということがよくあります。
それは表面上の商品やサービスだけでなく、「ここだけの話」を聞かせてくれたり、なぜか社員旅行のお土産までくれたりするのです。
純粋な感情は貪りよりも得をする
ここで思い出話をひとつ。
兵庫県の姫路の方に旅行に行ったときのことです。
たまたま入った小さな飲み屋での話ですが、福井の名産「へしこ」が置いてありました。
福井といえば、全国的に有名なのは越前がに、土産物なら羽二重餅、食べに行くならヨーロッパ軒ですが、どうしても「へしこ」はクセが強いため好き嫌いが分かれるところらしいので、土産で持ち帰られることはあまりなく、若い人の中では若干マイナーだったりします(無難に羽二重餅や五月ヶ瀬が選ばれるからでしょう)。
ただ僕としては、数ある魚系の食べ物の中でトップに君臨するほどの好物です。
ということで、へしこをバンバン注文するのでした。
するとやはり店主の方が福井県出身の方だったようでした。
ということで、「へしこについて熱く語る」ということになってしまいました。
「福井といえば越前がにですねー」
なんてなことを言っても
「そんなことはJRの改札前の『かにカニエクスプレス』でも知ることができる」
ということになりますが、
「鯖のへしこ」となると若干福井マニア的要素がついてきます(といっても「へしこ」は有名なのでそれほどでもないですが)。
「福井出身か?」
ということにもなりましたが、
「京都人ですよ。でも福井は大好きですし、へしこは大好物です」
ということで、それからというもの、
「これなんかどう?あ、お代はいらんよ」
とか
「地酒いける?これ福井の酒ね。あ、お代はいらんよ」
と、なぜかたくさんの福井名産を施されるのでした。
店の価格帯から言えば、1500円から2000円分くらいは施しを受けてしまいました。
東京に行ったときも、なぜかバーテンさんに「これは僕からです」とこっそり謎の施しを受け(多分すごく高価なウイスキーです)、横浜でも「なんかお兄さん好きです」と、店員さんにピザを施されたことがありました。
ちょっとの物事を貪りのゴリ押しで獲得しようとするよりも、自然でいたほうが双方も楽で楽しく、結局得をします。
物を手に入れたとしても、物を介して得たいのは何某かの「良い気分」であるはずです。
それならものやお金にとらわれてなんかいないで、常に良い感情でいるに越したことはありません。
変な計算のもと「こんな感じで交渉したら、ここでこうゴネたら、1万円で1万1000分位のサービスを獲得できるかな…」なんてなことは、結局遠回りだということです。
人間と国民は何によって光沢[ツヤ]が出るか 曙光 529
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