「毎日が楽しいのですが、ずっと楽しいままではダメですか?」
20代男性からリクエストです。
ラジオパーソナリティのような始まり方ですね。それくらいゆるい方がいいでしょう。
さてそれでは、始めていきましょう。
その「楽しい」という体感を大切にしながらも、意識の変化を追ってみてください。
「楽しい」というのは感情です。感情はその場の反応です。
その反応は瞬間ごとに変化しています。
楽しい一日、楽しい時間の中にも一定の楽しさがあるわけではありません。そしてそれを永続させたくても、いつかは体が疲れたり、話のネタなどがなくなってきたり、仕事などであれば「慣れ」が生じてきて刺激が減ってきたりします。
楽しいのはいいですが、その楽しさは永続してくれません。
ずっと楽しければ、おそらく永久に「帰ろう」とかは思わないはずですが、楽しい瞬間にも何度か「今はそこまで楽しいわけじゃない」という瞬間があると思います。
悲しい瞬間や苦しい瞬間が永続するわけではないように、楽しい時間も永続するわけではありません。
そもそも変化があったからこそ、そして現時点でも変化があるからこそ楽しいという感情を感じることができているはずです。
そして一方で比較の基準になります。
楽しいことを追い求めてしまうという渇望感の原材料になります。
そのことに注意しながら、楽しいという感情もその場に置いて、次の憂いのタネにならないようになるのであれば、楽しいままでも大丈夫でしょう。
楽しいことは、自責や苦しみよりは大変結構ですが、何かをごまかしていないか、そして楽しさが無くなっても平然としていられるかどうかがカギになります。
自分の意識も、自分が感じる外界も、その瞬間だけの空虚なものであり、楽しい出来事も、楽しい出来事をいつまでも同じように繰り返せるだけの固定的条件というものも永続せず、嫌でも必ず変化するのですから。
ただ、「楽しい」という感情の指針は見逃さないほうがいいでしょう。感情は選択において良い指針になりますが、それに溺れること無く、自己観察してみてください。
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