「美しい国」という表現がたまにされることがあります。中国語などでアメリカを「美国」と書きますが、日本のことを「美しい国」と表現するということがたまに起こります。
しかしどこの国も美しいものです。美しさは受け取り手の感性の問題ですから、実態として「美しい」という属性自体は持っていません。見る人の感性によって「美しいとされる」だけの問題です。
そのようなわけで「美しい国日本」という感じが好きな人達について書いていきましょう。
日本と同化する必要はない
さて、日本人だからといって、日本とイコールではありません。ただ日本に生まれたからといって、日本と同化する必要はありません。
小学生の時から「戦争モノ」を見せられても、「それがどうした」と思っていました。
たまに洗脳された人が「先祖が戦ってくれたおかげで今の自分がある」という事を染み染み思い、泣いたりしますが、昔から意味がわかりません。
なぜならそれは想像の範囲で、今現在起こっていることではないからです。あくまで現実で体感した情報でもない、情報媒体からの情報を元に頭で作り上げた世界です。
これと同じことを現実に「あ、同じ構図だ」と感じたことがあります。
労働組合の勧誘も同じ構図
それは労働組合の勧誘です。
何度も何度も触れていますが、労働組合の勧誘をされた時に、組合員に「今の労働条件は先輩たちが勝ち取った結果であり、おまえたちは先輩に敬意を示さないのか」ということを言われました。
「体育会系は黙れ」の一言で終わります。
「敬う」という言葉を完全に何かと勘違いしています。
それは敬うということを、奴隷従属か何かだと思っていることです。絶対的に年配者が正しく偉いという、根拠の無い体育会系思想です。
どうして先に生まれたというだけで
偉くなるのでしょうか?
しかし論理は穴だらけ、「どうして年配者が正しくて偉いのでしょうか?」と、説明するように頼んでみても、「そんなことは当たり前だ!」感情をぶつけてくることしかできません。
どうして先に生まれたというだけで、偉くなるのでしょうか?
どうして先に生まれただけで「偉いとされている人」の言うことを聞かねばならないのでしょうか?
生まれる時代、タイミングは自分ではどうにもできません。その生まれたタイミングで優劣をつけることは、根拠なき差別です。
敬うこと自体が個人に委ねられている意識の世界です。誰にも強制はできません。
誠意を見せてもらおうか
そして、敬うことと、お金を払うことは別物のはずです。なぜ敬意を「組合費」という形で示さなければならないのでしょうか?
「誠意を見せてもらおうか」
というのはVシネの世界です。
それと同じことをやっているということに気付いていないのか、それともわかった上でやっているのかはわかりません。
誠意を見せる=労働組合への加入と組合費という上納金
という構造になっています。
せめてもの行動の強制をしてくるということです。
そういうことをしてくる人は永久に安らぐことがありません。
相手が安らがないということ、安らかではないということと、こちらの安らぎは関係ありません。
相手にしないことです。
美の国は一層大きい 曙光 468
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