「女性はわれわれの敵である。」― 男性としてこのように他の男性たちに語る者は、自分自身を憎悪するだけでなく、自分の手段をも憎悪するような抑制されない衝動のあまり、そう語るのである。 曙光 347
女ぎらい(女嫌い)というストレートなタイトルでお送りします。女嫌い、女性嫌悪という感じになりましょうか。
700回投稿の際にアクセス解析を見ていたら、男女比率は、男性47.27%対女性52.73%とやや女性ユーザーさんが多いようです(ただPV数、滞在時間は圧倒的に男性が多く、長いという結果です)。
そんな中、たまに女性に対することについて触れています。
結局、女性が好きなのか嫌いなのかという点について堂々と触れていきましょう。
世の中では女嫌い、女子嫌いとされる人たちが稀にいます。しかしながら僕の場合はそれとは少し違います。
A 「好き」と「嫌い」と「どちらでもない」が全て含まれる
という感じです。ただ、特に関心はありません。
少なくと二元論化して女嫌い要素があるからといって男好きだとは思わないでください。そういう問題ではありませんから。
同じ生き物ではありません
民主主義教育のおかげで「男性も女性も同じ人間だ」と勘違いしている人が多く見受けられますが、全く別の生命体だということには、かなり若い時から気づいています。
「女ぎらい」といえば、まるで世の中の事象をくまなく注視し、女性蔑視、女性差別的なものを探してきては「はい!UNOって言ってなーい!」と言った感じで糾弾しようとする流れに一番辟易します。一応「女ぎらい」ということで、意識的に嫌いな部分もありますが、女性自体を差別したり蔑視する気は毛頭ありません。が、そうした社会的なアラ探しや「抵抗する煩悩」自体は嫌悪の対象になります。
己の心を見ず、外に向かって要請し承認を求めるようなやり方自体が無明からやってくるものであり、それは煩いしかもたらしません。
さて、男と女は別の生き物であるということに関して、人間と動物の違いといえば語弊を生みそうなので、「犬と猫の違いだ」位の感覚で考えたほうがいいでしょう。共に哺乳類でも生態が違うというような違いを念頭に置かないと、勘違いが加速していきます。
美魔女のような人に対してモッガラーナは「皮膚で繋ぎ合わせた糞袋よ!胸に潰瘍を持つ魔女よ!」と言って戒めました。
こうした文を見て「なぜ魔女なのか?」「なぜ女性なのか?」というところにばかり着目する人がいますが、そんなところが重要なポイントではないのです。
男も女も「皮膚で繋ぎ合わせた糞袋」なのです。
「僕は皮膚で繋ぎ合わせた糞袋ではないけど、あなたは皮膚で繋ぎ合わせた糞袋なんですよ」
などとは言っていないのです。
逆に発言者が女性なら美形結婚詐欺師やイケメンホストのような人に同じようなことを言えばよいのです。男性たるモッガラーナと対峙しているのが遊女だったからであって、その逆でも若干の語彙は違えど同じようなことが言えるのです。
しかしながら、どうしても体の構造によって、生存本能的な衝動の種類は異なってきます。意識を形成するにあたって、考え方、世界を解釈するものの見方の形成にあたって、本能からの影響が強くあり、そうであるのならば思考パターンを含めて「同じ生き物」ではないはずです。
「人間と動物の違いだ」と仮に言ったところで、怒り出す人は動物が人間よりも劣っているという感覚があります。動物には「動物の世界」があり、人間と認識形態が異なっているので、同じ世界に住んでいるように見えても、同じ世界を見ているわけではありません。
それと同じようなことです。
ただ、人間と動物にも共通点はあります。そして、動物に何かを伝えることも、また動物が何かを伝えることも、そして互いにそれを理解することも一部では可能です。
「命」は、心を持っているということです。心は何かを認識する働きです。
そういう意味では、命自体に差はありません。ただ、心に入ってくるパターンが違うということです。
視力というものを持たない生き物、つまり植物などでも、光の強さなどを感じています。光の指す方向へ葉の表面を向けたりしますから。しかし光を感じることができるからといって、世界の名画を見せようと思っても、その次元での認識は生きることには関係がない、という構造を持っているため、伝えることができません。
そんな相手に
「この芸術の素晴らしさがわからないなんて低俗だなぁ」
と言っても意味がないのと同じように、根本認識に若干のズレがあります。
人間と動植物の差ほど大きくはありませんが、同じ認識をしているわけはありません。
それは相手が女性という場合にかぎらず、全ての人に当てはまります。
男性と女性の根本的な違い
しかし、そもそも体の構造も異なっているのに、またホルモンからの影響なども異なるのに男性と女性が同じわけがありません。
ただ、この差異を根拠に、何かの根拠なき不都合を押し付けるというのは変だというだけの話です。しかし、男と女は同じ生き物ではありません。
男性と女性の根本的な違いの一つは、生存本能的な恐怖心の構造が少し違うということです。
単純に懐胎です。その時の身の安全を本能的に考えてしまうという性質は男性にはありません。身の危険をどう回避するか、という方法論を考えた時に、群れを形成したり、誰かに頼るということが一番合理的です。もし冷凍庫などがない場合なら食物の保存は元来あまりきかないものです。その食料調達や外敵との戦いを代行してくれる相手を探すのは、本能的には当然です。
男性には懐胎がありませんから、基本的に孤独でも大丈夫だということです。生殖行動など本来は一瞬の拘束時間でも済みますから。
そういった根本的な構図が違います。
そういうわけで、女性は可愛がられようとしたり、群れを形成したりする習性が根本にありますが、おそらくホルモンバランスによって、それを回避するような人もいるでしょう。
ということで、一律には論じえませんが、傾向だけは必ずあります。
そういった「ソワソワ」の種類の違いがあるということは、考え方にも必ず違いが出てきます。なぜなら解決すべき本能的衝動が異なるからです。
そういうわけで、合理性ひとつとっても双方でアプローチの仕方が異なりますから、基本的に話が通じないのは当たり前です。
ともすれば話が通じないので、女性を相手にすると辟易することがあります。
女性が男性よりも劣っているとか、そういうことではありません。
優劣を決めるときは、何かの基準に対してという構造が必要になります。
速く走る能力ならば、人間よりも馬などのほうが優れています。
生命維持に必要な摂取エネルギーとか燃費効率で言うと、動物よりも植物のほうが優れています。
しかしそれは、何かの目的・目標があって、それに適しているのはどちらかとか、そういった類の場合の比較です。
問題は、一律的に劣っているからという理由をつけて、不都合なことを相手に押し付けるというような時に起こります。
ただそういう点が議題に上がるときは、ほとんどが「自分を優先して欲しい」という主張をしたいときです。
それはどうしてでしょうか。
それは生存本能的にその方が都合がいいからです。
さて、そういうわけで、男性は○玉に、女性は卵巣に支配されています。
○玉的な都合、卵巣的な都合、男女がそれぞれそれに合わせた考え方をしてしまうということです。その考えが丸々一致することはありません。どちらが正しいというわけではありません。
どちらも間違っているからです。
「浮気をするな」というならば、あなたも浪費をしたり群れてはいけない
これは共に、男性の場合ならば○玉、女性の場合は卵巣の都合です。
その事実に気づいている人はあまりいません。近いようなことを言っている人はたまにいますが、「だから相手を理解しよう」という考えを提案します。この時の「相手を理解」というのは、「お互いに相手の都合に合わせてやれ」ということで、男性ライターならば「じゃあたまにキャバクラくらいならいいだろう」とか、女性ライターならば、自分たちの「浪費や群れ」を肯定するという結論に導きたいという意図があります。しかし、どちらも間違っています。
それが間違っているという点について、「そういうのは違うぞ」と言った人たちはいます。しかしそれは2500年位前の話で、現代版にチューンして語っている人は今のところ見当たりません。
女性の群れは、一見何の問題もないかのように見えるので、本能的ではないような錯覚がしますが、やっていることは同じです。出方が違うだけで、卵巣に支配されています。
卵巣の支配は、群れることだけではありません。
物欲も同じことです。旨いものを作れる人は少ない割に、旨いものを食おうという人が多いのも、卵巣の都合です。タンスの肥やしになるようなたくさんの物を買うのも、「懐胎時の非常事態への蓄え」です。身動きが取りにくくなった時にでもたくさんの栄養や物資で、その期間を凌ごうという卵巣的な都合です。
女性が蓄えをしても、男性は自分も使えるものであれば特に問題では無いので怒りませんが、自分が使えないものだと怪訝な顔をしたりします。しかしその程度です。
しかし男性が他の女性に手を出すと卵巣が怒ります。
「自分が運んできて貰う予定の栄養を他の女性に持っていくのではないか?」
という怒りです。現代ではお金に該当しますね。本能としては当然の怒りでしょう。都合が悪すぎます。
しかしこれらは全て卵巣の都合です。
卵巣の都合だということに気づいていないということです。
群れること、物欲が強いこと、これは本心ではありません。卵巣の都合です。
男性が、ムラムラしたり、喧嘩っ早くなったりしてしまうのは○玉の都合だというのと同じように、これらの欲や怒りは全て卵巣の都合だということです。
男女ともにそれを乗り越えなくてはなりません。
乗り越えなければならない課題が違うのです。
男性は○玉との主従関係を、女性は卵巣との主従関係を逆転させなくてはなりません。
そういう意味で別の生命体です。
女性に対しての
「好き」に関しては、本能的に組み込まれているものの影響です。
「嫌い」に関しては、必ず根本や生き方が合わないという点でのノイズ的な「影響を受けたくない、関わりたくない」という意識的な拒絶です。
「どちらでもない」に関しては、別の生命体だからという理由があります。本能の衝動特性は違うものの、他の生命体と同じように、慈しみ憐れむべき存在だというような捉え方です。
そういうわけで、この3つが混在しているというよりも重なりあっています。
女ぎらい 曙光 347
最終更新日:
どうやって主従関係を逆転させられるでしょうか?
まずは、自分が今、どこかから衝動的にやってくる「欲」によって行動を駆り立てられているということに気づくことです。
買い物にしても「これが欲しいんだ」と思うのは勝手ですが、どうしてそれが欲しいと思うのでしょうか?
理由を言語で説明するのではなく、衝動の発端の意識エネルギーみたいなものに気づいてみてください。
その源流にたどり着くと、「大きく息を吸おう」と意識した時に、呼吸をコントロールするように、無意識で行っていることが意識のコントロール下に入ります。
いきなり完全に逆転させるには、自我の錯覚を解くのが一番早いです。
私は男性ですが、ある程度◯玉との主従関係を逆転することができていると思っています。
興味本位ですが、女性はどのようにして卵巣との主従関係を逆転させるのでしょうか。
男性より難しいのではないですか?
僕も男性ですので女性のことは正確にはわかりません。
ただ、「女性ならば当然だ」とされているようなことを疑問視すると良いでしょう。
欲を代表とする様々な行動の奥にある、「みんなが当たり前にやっていて、かつ、自由意志でやっていると思っていること」をよく自己観察すれば良いのではないでしょうか?
心を静めて本能による衝動を見切ることがポイントです。
女性は、男性よりも周りに同調する傾向があるので、その分ハードルが高いかもしれません。
まずは同性の友人の意見や誘いに「反応すること」を止めることからスタートするのがいいのではないでしょうか?