滑莧(すべりひゆ)は、スベリヒユ科スベリヒユ属の多年生植物。茎は赤紫色を帯びて夏に枝先に黄色の小さな花を咲かせるようです。山形県では「ひょう」、沖縄県では「念仏鉦(ニンブトゥカー)」と呼ばれるようです。花弁は5枚、萼は2枚、花柱は5つ。乾燥耐性があります。
滑莧(すべりひゆ)の自生環境は、道端や畑などで、地を這って分枝します。葉は長円形の多肉質で互生、ぬめりがあります(食べるとリンゴ酸の酸味もあるようです)。
黄色い小さな花は、朝の早い時間にしか咲かず、日中はしぼんでいるようです。蓋果(がいか)と呼ばれるふたのある果実は熟すと上部が取れ、黒いの種子が落ちます。スベリヒユも発芽率は良いようです。
この滑莧(すべりひゆ)も夏の七草です。
乾燥に耐えるスベリヒユ CAM型光合成
スベリヒユは、乾燥に強く炎天下でも大丈夫のようです。一つは葉が多肉質であることと、C4型光合成を行なうと同時に他の植物とは異なるCAMという光合成システムを持っている(CAM型光合成)からのようです。
通常の光合成では、日中、日のある時に気孔から二酸化炭素を取り込むため、同時に水分も逃げて萎れる原因になるようですが、CAM型光合成では、水分の蒸発が少ない夜間に気孔を開いて二酸化炭素をためておいて、日中は気孔を閉じて水分の蒸発を防ぎつつ光合成を行うというシステムをとっているようです。スベリヒユ以外では乾燥地帯のサボテンの仲間などが同様の光合成システムを持っているようです。
学名: Portulaca oleracea
五つの色を宿す「五行草」の神秘
この植物を単なる雑草として片付ける前に、その姿をじっくりと観察してみてください。スベリヒユは、中国では「五行草(ごぎょうそう)」とも呼ばれます。
その理由は、体に五つの色を宿しているからです。葉の「青(緑)」、茎の「赤」、花の「黄」、根の「白」、そして種の「黒」。古代中国の自然哲学である五行説(木・火・土・金・水)のすべてを一身に体現しているとされたのです。道端の小さな草の中に、宇宙の理(ことわり)が凝縮されていると昔の人は考えたのかもしれません。ただむしり取る対象として見るか、調和の象徴として見るか。その視点の違いが、植物との関わり方を大きく変えていきます。
渇きを生き抜くハイブリッドな呼吸
スベリヒユの生存戦略は驚異的です。彼らは一般的な植物が行う「C4型光合成」に加え、サボテンなどの砂漠植物が得意とする「CAM型光合成」も行うことができます。
炎天下の昼間は気孔を閉じて水分の蒸発を防ぎ、夜になってから気孔を開いて二酸化炭素を取り込む。この二つのシステムを環境に合わせて使い分けることができるため、コンクリートの隙間や灼熱の畑でも涼しい顔をして繁茂できるのです。私たちが暑さに喘いでいる横で、彼らは極めて高度で効率的な呼吸法を実践していることになります。その柔軟で強かな適応力には、敬意を払わざるを得ません。
陸上の魚? オメガ3脂肪酸の宝庫
近年、スベリヒユは「スーパーフード」として世界的に再注目されています。特筆すべきは、植物には珍しく「オメガ3脂肪酸(α-リノレン酸など)」を豊富に含んでいる点です。
これは通常、青魚などに多く含まれる成分で、血液をサラサラにしたり、炎症を抑えたりする働きがあります。畑の厄介者が、実はサプリメント顔負けの栄養価を秘めているという皮肉。自然界は時として、最も身近で、最も顧みられない場所に、最高の宝物を隠しておくもののようです。雑草というレッテルを剥がせば、そこには長寿へのヒントが眠っています。
「ひょう」として愛でる山形の知恵
日本では多くの地域で駆除の対象ですが、山形県にはこの草を「ひょう」と呼び、大切な食料として愛する文化が根付いています。特にお盆の時期に、茹でて辛子醤油で和えた「ひょうのお浸し」を食べる習慣があります。
さらに興味深いのは、夏に採れたスベリヒユを茹でてから天日で乾燥させ、「干しひょう」として冬の保存食にする知恵です。生の状態では独特の酸味とぬめりがありますが、干すことで酸味が抜け、旨味とコクが凝縮されます。煮物にすると、まるでゼンマイのような深みのある味わいに変化します。厄介者をただ排除するのではなく、手間をかけて冬を越すための糧(かて)に変える。そこには、自然と共生してきた先人たちの豊かな精神性が息づいています。
園芸種「ポーチュラカ」との血縁
花壇を彩る鮮やかな「ポーチュラカ(ハナスベリヒユ)」は、実はこのスベリヒユの仲間です。スベリヒユの強靭な生命力を受け継ぎつつ、花を大きく華やかに改良したものがポーチュラカです。
しかし、園芸種として愛されるポーチュラカと、雑草として嫌われるスベリヒユの違いは、人間の都合によるわずかな見た目の差でしかありません。黄色い小さな花を咲かせたスベリヒユをよく見れば、その造形はポーチュラカに劣らず精巧で愛らしいものです。美しさとは絶対的なものではなく、それを見る私たちの心の余裕や、置かれている文脈によって決まるものなのかもしれません。
再生という名の不死性
スベリヒユの除草が難しいと言われる所以は、その恐るべき再生能力にあります。草取りをして、抜いた草をその場に放置してはいけません。茎や葉に水分をたっぷりと蓄えているため、炎天下でもなかなか枯れず、それどころか切れた茎から再び根を出して復活してしまいます。
この「切られても、干されても、また根付く」という性質は、農業従事者にとっては悪夢ですが、生命のあり方としては一つの到達点です。彼らは個体としての死を容易には受け入れません。どんな逆境にあっても、わずかな可能性にしがみつき、再び大地と繋がろうとする。その執念深いまでの生きる意志は、私たちが困難に直面したときに思い出すべき強さかもしれません。
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