オリジナルや個性という言葉がすごいことかのように取り扱われ、平均的な生活から「少しはみ出そうと」躍起になりつつも、自分塾を正しく開いてこなかった場合には、「オリジナルだ」と主張するようなものを創作したとしても、絶望するほどチンケなものになります。
楽器人生
さて、個人的に楽器をやり始めたのは、詳しく言えば幼稚園くらいですが、ベースなどを触りだしたのは中学生の時です。
相棒プレシジョンベースとの20年(2019年3月投稿)
その当時は数人しかそういうタイプの同級生がいなかったのですが、中学校生活も終盤に差し掛かった頃、周りがかなりの数で楽器をやり始めました。
バンやろ
その時には「バンやろ」こと「バンドやろうぜ」という雑誌が主流でした(宝島社より出版されていました)。注目のアーティストがバンバン載っているということに加え、バンドスコアなども掲載されていました。個人情報保護全盛の現在とは大きく異なり、雑誌のメンバー募集に家の固定電話の番号を載せるくらいの時代です。
アドリブ
その雑誌にも例に漏れず「アドリブ」というものに触れていた回がありました。その記事を見た同級生は、スコア上の一部を半音下げたりするだけで「アドリブ」と主張し、個性だと言いはりました。
いわゆる「崩す」というものとは異なり、確実にそれは「違う」と思うのですが、周りにはそのレベルのプレイヤーしかいませんでした。早く高校生になって、もっと優れた人と一緒に音を出したい、そんなことを思っていました。
凄腕のギタリスト
そんな中、唯一凄腕がいました。唯一、一緒にエフェクターを選びに行った仲であり、いろんなジャンルを一緒に演奏した仲です。Z会仲間でもあります。しかしながら高校生になったと同時に離れ離れになりました。唯一、「あれはアドリブとは言えない」ということを理解しあった人なのですが。
それはそれでひとつの思い出ですが、あまり本題とは関係ありません。
さて、「小さな逸れた行為が必要である」についてもう少し触れていきましょう。
やはり起業する人は少し違う
勘違い芸術家については、かなり触れてきたので、今回は、社長仲間のことについてでも触れていこうと思います。
社長になってしまう人、特に自ら独立するようなタイプの人は、仕事能力が最初から特にすごく高いわけではないケースもあります。
ただ、見渡してみても、どこか少し違う、その違いをブックオフで100円の本の内容でコンサルなんかをする人は大好きですが、そんなに詳しく分析しなくても結構です。
そこに書いてある内容以外の人は社長ではないのか、ということになってしまします。反対解釈で、「さあ起業しよう」と思っている人のやる気を削ぐ可能性もあります。
「分析した結果を教える」という事業
「起業家」を分析しただけの起業家ではない人の意見など結構です。
「分析した結果を教える」という事業を展開しなくてもいいですから、その方法論で、何か他のことをやればいいのではないでしょうか。
それは別にどうでもいいことです。起業家について語りたければ語ればいいでしょう。そのような人の意見に影響されてしまうことをやめればいいだけです。
大昔から様々な無駄な分析がたくさん行われてきました。それは噂話とほとんど変わらないチンケなものです。
立場がアルバイトであっても
社長になってしまう人は、その立場がアルバイトであっても、すこし違った目で見ています。
ラーメン屋でバイトしていても、「客なんて来るな」という考えの「何時間いて、時給なんぼ」の考えをさておいて、売上と原価を見たり、回転数を見ていたりします。なぜか、そういうところに目がいってしまいます。
で、空いた時間に店長に「テナント賃料っていくらくらいですか?」など、雑談程度ですが、こっそり聞いていたりします。
これは「やりかたを盗んでやろう」という場合もありますが、それよりももっと自然に「社会はどうなっているんだろう?」という疑問が湧いてくるからです。高校生バイトの時ですらそんな目線でバイトしています。
少し逸れた行為
そんな目線で5年か10年でも社会に触れてしまえば、いやでも会社というものはどういう存在かということが分かってきます。
給与明細を見ても、「あ、これだけコストがかかっている」などと勝手にはじき出してしまいます。それに自分が関わったりしている仕事が生み出す生産能力から「割合わないな」とか、「気前いいな」とかも勝手にわかります。
そんな感じになってくると、どこかの店で買い物をしていても、店舗面積とか、在庫数量とか、おそらくの粗利とかを勝手に計算しながら店内を歩いていたりします。異業種に勤めている友人との会話の隙間から様々な業種の利益構造がわかってきたりもします。
そんな少し逸れた行為を繰り返すだけで、社会の見え方がだんだん変わってきます。
小さな逸れた行為が必要である 曙光 149
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