鏡としての現象

「自分に起こる現象も、目の前の人も自分の鏡である」

自分自身の思考というよりも、自分が自分をどのように取り扱っているのか、ということの反映としての現象である。

そんな事が言われることがあります。

まあ確かにそれはその通りです。

今回はそんなことについて、少しだけ触れていきます。

直近に起こった不思議な出来事について、思い出を書いていこうと思います。

数週間前、妻がママ友さんと某ファミレスに行った時のことです。

妻がトイレに行ったところ、空いているトイレに入ろうとしたら、手洗い場にいた御婦人に、

「そこは入ったらあかんえ!」

と、ストップをかけられたそうです。

不意をつかれた妻は

「?」

となったようですが、

「う◯こが落ちてるよ。うち、踏んでしもた」

確かに見ると、落ちていたそうです。

どういう経緯でそうなるのか?

そして、なぜそのまま放置してあるのかが謎です。

その話を聞いた僕は、

「何という失礼なやつだろう」

という感想くらいしかありませんでしたが、

「なぜだろう?」ということを話していると

ご高齢集団がファミレスに大量にいたそうで、

「気づいていないのではないか?」

ということでしたが、

気づかないですか?

どうなんでしょう?

「???」

となっていました。

それから数週間を経て、娘と自転車で冒険の旅に出た時のことです。

娘をトイレに連れて行くにあたり、コンビニに寄りました。

トイレは、女性専用、男性専用に分かれており、男性用は使用中だったので、

「まあ娘のトイレの付き添いだからなぁ」と、女性専用の扉を開けました。

そこに飛び込んできたものは…

想像を少し上に行く

便座に親指大の「ブツ」が、絵の具をチューブから出した時のようにへばりついている、

というものでした。

「どういうことじゃ!」

と思わず呟いてしまいましたが、

さすがに拭き取ったとしても、愛娘をそのような便座に乗せることはできません。

少し待って、男性専用の方でしてもらいました。

「自分に起こる現象は、自分の鏡である」

どういうこと?

「自分が自分をどのように取り扱っているのか、ということの反映としての現象である」

どういうこと?

という感じです。

しかしながら、12月だけで「女性用トイレのう◯こ事件」が2回もあるとなると何かしら意味深です。

なぜ、便座についているのですか?

どのタイミングで出したのでしょうか?

そして、本当に気づかないのでしょうか?

気づかないということはあり得るのでしょうか?

犯人は、どのような人物なのでしょうか?

「自分に起こる現象は、自分の鏡である」

どういうこと?

Category:miscellaneous notes 雑記

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