アフォリズム 531-540
- 531.肯定的思考が伝わらない理由
- 532.精神論を説く事業家の家庭状況
- 533.削ぎ落とすようなもの
- 534.動物の世話
- 535.思考との同化
- 536.勝っても意味の無い論争
- 537.駄々っ子の納得
- 538.ある味との出会い
- 539.養子との出会いの偶然から
- 540.落ち着きの静と動
531.肯定的思考が伝わらない理由
肯定的思考を推奨するもそれが相手に伝わらずに、いつまでもいつまでも同じようなことを半ば文句を垂れるように説き続ける者が稀いる。こうした者は、「なぜ伝わらないのか」を心底考えたことなどないのだろうと思う一方、単に本人が雑で、相手の心を理解できる能力や理解しようする能力がない、ということに起因しているのではないか、と思うことがある。
532.精神論を説く事業家の家庭状況
事業家が精神論を説くのは構わないが、よくよく観察すると家庭面をはじめとした対人関係の部分については、人に教えを請う側ではないかと思うことがある。
事業に関係する浅い対人関係であればある程度慣れがあるように見えても、深い仲になると何の参考にもならない。しかしそこを棚上げして対人関係を一般化して語っているように見える。
533.削ぎ落とすようなもの
発想を意図して出てきたもののうち、本来削ぎ落とすようなものをそのまま出しているような楽曲が耳に入ることがある。
書籍であれば改訂で何とかなりそうでもあるが、基本的に楽曲は作りきりであるため、もう少し練った方が良いのではないか、と思うことがある。
534.動物の世話
家の中に動物がいる場合、家族任せにせずに自ら積極的に世話をした方が得られるものが大きい。
535.思考との同化
生存本能による恐怖心からの消極的な思考が、人の思考の基本形となっている故に、思考は思考で起こるものとして置いておく方が良く、同化するとロクでもないことが起こる。
536.勝っても意味の無い論争
その論争に勝ったところで、どのような意味があるのかをよくよく検討してみると、単に自分の見解への固執であることが理解できる。そしてその奥には、自尊心や安心、満足の成功法則としての偽りの機能が垣間見れるだろう。
537.駄々っ子の納得
「私を納得させてみろ」というような強気の姿勢は、客観的に見るとただの駄々っ子である。納得させる責任や必要は、本来どこにもない。
538.ある味との出会い
「一つでも欠けていた場合、今、この味を味わうこともなかった」というような瞬間は無数にある。
539.養子との出会いの偶然から
養子のうさぎとの出会いの偶然から、実力や能力というものは、人生においてそれほど大したものではないということに気づいた。
540.落ち着きの静と動
落ち着きと言うと、どうしても動かないこと、静止すること、寝て休むことを思い浮かべてしまうが、動くことによって落ち着きを得る場合もある。
とりわけ観察は、頭が追いつかないほどの動きが生じている。
寝ることではなく歩くことによって、一点に集中するのではなく、動き、生滅を観察することによって、集中が生まれ、落ち着きが生じるという方向性もある。
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