腹の底から笑える幸せ 改

最近爆笑したのはいつのことでしょうか。

僕は毎日爆笑しています。特にゲラというわけではないのですが、笑いの要素など360度見渡せばどこかにはあります。

あとはどれだけ心を許しているか、という点になります。要素はその辺にいっぱいあるのですから。

何でもかんでも腹の底から笑ってやればいいのです。

私もニューヨーカーでしたから

昔は笑えたことでも「大人」になろうと頑張った時は神経が張り詰めているため笑えないものです。

以前テレビのニュースキャスターがニューヨークで起きた事件の映像を見て、「ええ、とても心配になります。私もニューヨーカーでしたから」ということを言っていました。

この手の人は生きていて面白いのか、非常に気になります。

いつ、どの瞬間に笑っているのかを調べてみたいものです。

別にいけないわけではありません。人種が違う民族の文化には少し興味があるだけです。

人種は同じどころか、DNAまで近すぎるうちの母はあまり笑いません。

逆に父は面白いことを生きがいにしているような人なので、年がら年中ふざけています。小中学生レベルです。

そんな母でも、時に爆笑することがあります。

たいていは動物系です。

作られたような「しらこい」笑いは、どうもいやらしさを感じてしまうようですが、動物の邪念のない仕草が彼女の心を揺さぶるようです。

そのような具合で「私もニューヨーカーでしたから」の人は、いつどんなときに笑うのか知りたいのですが、そういう類の人とは仲良くやれません。

どなたか、情報提供いただければ幸いです。

注意深く油断する

常に爆笑を待機するためには、注意深くアンテナを張りつつも、気持ちはほぐれていなければなりません。

油断せずに何かに集中していると、いつもなら笑うような同じ現象でも笑えないものです。

注意深さは集中、油断は集中していない状態です。一見競合しそうですが、これらは仲良く過ごせる性質同士でもあります。

たまに5upに行くときに、いつも思うのですが、審査員さん並に集中してしまっています。

「楽しもう」ということで行っているはずなのですが、どうしても本気で見てしまいます。

一緒に行った人に、

「芸が始まると、タカみたいな目になりますね」

とまで言われてしまいました。

本末転倒とはこのことです。

「笑うために来ている」にも関わらず、「笑ったら負け」という心が働いてしまっています。

ただ、それでも爆笑することはあります。

つまり心の壁をぶち破られてしまったわけです。

見に来てる人はお金を払っている身、やる方はそれくらいがプロの仕事なのではないでしょうか。

日常にくらべて相当のハンデですが、板の上という特殊な世界なので、これは仕方のないような気がします。

普段は油断ばかりしていますが、アンテナはどんな些細なことでも見逃さないように、最大の感度で構えています。

肩の力を抜きましょう。

肩の力

人は緊張すると肩が上がります。

肩が上がって横隔膜が上に引っ張られると、緊張するというようなことを聞いたことがあります。

「肩が上がっているな」と思ったときは、意図的に肩の力を抜いてみてください。

それだけで、日常のストレスの感じ方はかなり変わってきます。

過去記事⇒腹の底から笑える幸せ

Category:さよなら私 / ないものねだり

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