AI(人工知能)による当たり前の回答
最近、業務中にも顧客からのメールに「AI(人工知能)による回答はこちら」というコピペが貼り付けられていたりします。 うーん。 当たり前のことを当たり前に言っているだけ、というのがその印象です。 まあ以前であれば検索結果から何かしらのページを見て、そのページが10000字くらいあって、そこから答えを見つけたり推測したりするという流れだっ
僕と妻を結ぶもの
ふとした日の妻からの差し入れ。
「ほら、『ありがとう』とか言わへんミスチル」
そうか、これが僕と妻を結んでいるのか。
なんてなことをふと思ったりします。
ふたり絵本クラブ
若いときは想像もしていなかったことのひとつが、娘との「ふたり絵本クラブ」です。 絵本の読み聞かせに関しては、お腹の中にいる時から(声を覚えてもらいたかったのです)ですが、その後も一日最大5時間(英才教育的なものを強要しているのではなく、強要されているのは僕の方)の読み聞かせを繰り返し、結局は絵本の創作をするというところに落ち着いていま

祝十一周年
本ブログもついに十一周年を迎えることになりました。ちなみにこれで2259記事目になります。今回は、単純に十一周年というタイトルです。 祝十周年の時は2181記事だったので、この一年で80弱くらいの投稿をしたことになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方

「女の支配欲から逃れる」という僅かながらの可能性
結局のところ、女性というものは基本的に支配欲の権化であり、僕は、この「女の支配欲から逃れる」という僅かながらの可能性をこの人生のうちの男としての人生の最大の目的にしているフシがあります。 「身の周りの他人を支配し、自分で勝手に決めた理想、自己実現を叶える」 具に観察するとそのようになっています。 「他人を支配して」いかにサボるか、「他

消えていく中の懐かしさ
そういえば比較的最近The pillowsが解散したようです。それだけでなく昨年からいろいろなものが終りを迎え、消え、新しい風景に変わっていったりしています。 娘としても「病に倒れる前におばあちゃんとよく行った思い出の店」が閉店して工事をしている風景を見て、喚くわけでもなくショックを受けたように静かに涙を流したりすることがありました。

思考によるあらゆる緊張と現象の展開
本来、安らぎが当然であり、結局、緊張がなければ安らぎが表に出てきます。 無駄な緊張というものは、思考により生じます。四苦八苦のほとんどは、これら思考による苦しみを示しています。そして突き詰めればすべてがこういった思考や意識による苦しみです。 これはすべてが苦しみであるという消極的なことを示すばかりではなく、苦を示すことで安らぎを示すも
叩きたくなる衝動
人には「美味しいから」という理由に基づいて「食べたい」というのではなく「食べたくなる」から食べたい、という類の衝動があります。 好きなだけでなく、聴くと無性にベースが弾きたくなる、ドラムを叩きたくなる、ギターを持ってピッキングハーモニクスをしたくなるという衝動もあります。 同世代前後の人にしかわかってもらえないかもしれませんが、僕は中

清々しい仕事の探究
楽しいことを仕事に、面白く感じることを仕事に、ということがよく語られますが「仕事における清々しさ」は、語られているようであまり詳しくは語られていません。 一応要素としては語られていたりはするものの、「清々しさも重要である」という一言で終わっていて、具体的な臨場感が弱いものがほとんどです。 元々欲よりも怒りが強い僕にとって、この清々しさ

狂人たちの中にいて狂人にならずにいること
狂人たちの中にいると、狂っていないはずの自分がおかしな存在として扱われ、彼らと同じような狂人にならないと不快感が生じてしまうというような同調圧力がかかることがあります。 古くは中学生時代の体育会系的な圧力、その後も脳筋要素が強かった勤め人時代の職場もそんな感じでした。 最近では、介護関連でよく狂人に出くわしました。 狂人は狂人であるこ

吠えたける悪魔の取り扱い説明書
「吠えたける悪魔」はどこにいるかというと、結局は自分の内側にいます。 その構造を分解して考えればすぐに見破ることができます。 例えば、僕が父の中にいる「吠えたける悪魔」を浴びて何かしらの嫌な思いをしたとすれば、その嫌な思いという情報、「父をはじめとした家族との関係性において生じた何かしらのもの」がその本体になるわけです。 人を通じてや

デコピンで終わり
強くなるということは、大きくなるということです。 大きくなるということは、囚われないということです。 ー 時に、「どっちの選択が囚われないということなのだろう?」という難題がやってきます。 「どっちの選択をすることが『囚われていない』ということになるのだろう?」 というような感じですね。 そんな時は、「どっちの選択をすることが『囚われ

私の厄払い
厄年というものは「役がつく」などと言われたりします。それはそれでいいですが、昨年の本厄は、のしかかってくるものが大きすぎて相当縮こまってしまったような気がします。 ということで世間では神頼み的に厄払いをしたりもするようですが、僕は単に休養によって厄払いをしました。 しかしながら、きっかけがあります。 それは年始に親友が我が家にやってき

バンジージャンプ的な思い切り
最近親友がマカオタワーにてバンジージャンプをしてきたそうです。 飛ぶ前は震えが来るそうですが、飛んでからは何ともないということのようでした。 本能的な恐怖の反応は出ます。 しかし頭では一応かなりの確率で大丈夫だということはわかっています。 そんな中でも、一緒にその場に行った全員が尻込みし、彼だけがバンジージャンプを楽しんだということの

休養と加速
個人的には昔から年に数回ショートバケーション的なものをちらほら挟むようにしています。とはいっても、そうしたものを取りにくい状況が続いていて、なかなか実現しませんでした。 今回の年末年始を中心に休んでみようと思いつつも、家族というものの存在すら本来の孤独的な休息にはならないので、あえて仕事を遅めから開始することで強制的に休むことにしまし

父への評価と仕事や資産
よく父との仲や父への評価と仕事運や金運は大きく関わっているというようなことが言われます(なお、お父さんがいない人は、対象は父性の象徴になるというだけです)。 確かに過去を振り返ってみたり、今現在でも周りを見渡すと「不本意なフリーターのような状態や引きこもりニートになっている人(主に男性)」はたいていそのお父さんを嫌っています。 もちろ

弱気と縋り根性の破壊
毎年、年末年始には親友と遊ぶことにしています。彼とは四半世紀という長年の付き合いの中でお互いの「自分では見えない部分」の情報の歪みを矯正し合っています。 今年も例年のごとく彼がやってきて、「自分では見えにくい悪しき情報」の抽出を行ってくれました。 前回の「他人の都合と抵抗」における「他人の空間に引っ張られる」とはつまり一種の「弱気と縋

他人の都合と抵抗
他人の都合というものは厄介なものです。 何が厄介かと言うと、時に「自分を尊重する」というものと「相手を尊重する」というものがぶつかるからです。 抽象化して統合された都合を発見できればいいのですが、相手が狂っていたりすると、相手の都合ばかりが迫ってきたりします。 そうした感じで迫られた時に、「相手の都合や状況も理解できるからなぁ」と思っ

顔の好みを超えた本能レベルでの拒絶
大変失礼なのですが、僕は人生で数回、女の人の顔を見ただけで吐きそうになったことがあり、一度は本当に目の前で吐いてしまったことがあります。 容姿の美醜というより、好みの顔ではないというものが大きく、理性で考えると「個人的感想として、美しいというわけでもないが、その人の顔を好む人もいるだろう」というような感じだったりもします。 本当に「本

新年 2025
あけましておめでとうございます。 2025年になりました。 元日は例年のごとく白味噌の雑煮を食べました。 ちなみにこの白味噌ですが、たいていスーパーでは主に二種類の白味噌が売られています。この時、「四条堀川らへんの白味噌」を選ばないと「スプーン7杯でこの白さ」的な騙しを食らうことになります。 きゅうりの古漬け そういえば年末に正月準備