依頼主側の意図
自分の専門分野だけについて語り、依頼主側の意図を無視するような人によく出くわします。インターネットの普及により情報がパーソナライズされていった結果なのかもしれません。 これは商いに限ったことではありません。いたるところで「話が通じない」ということが起こっています。 専門性に特化していることは良いことのように見えますが、それによって盲点が出てきます。自分の専門分野以外のことは見えなかったり、問題を抽象化すること自体をせずに問題を「関係なし」とバッサリ切り捨てたりするようになってきます。 また職業人としての経歴が長くな
浦島太郎感からの脱却
ここ数年の僕は、まさに浦島太郎でした。ある程度頭が元に戻ってきた時、社会を見渡すと、「どこだここは?」というような気分になっていました。 コロナ環境やコロナ罹患、そして娘との生活とそれによる睡眠不足、母の脳出血等々、様々な要因によって頭が破壊され、一時的に世界の把握ができなくなりました。一度地に落ちたようなものです。その一部は「感染後の集中の乱れ」で触れていました。 しかしながら、そんな浦島太郎感もなくなりました。さらにいうと以前よりも数倍くらい大きくなっています。精神と時の部屋にいたようなものです。 日によるもの
ふと立ち寄る公園
思い出がたくさん詰まった公園というものはいくつかありますが、ふと立ち寄る公園があります。 最近、母が退院したので実家に行く機会が増えたこともあり、実家近くの公園にたまに寄ってしまいます。 昼間や夕方となればいつもは子どもがいたり営業マンがサボっていたりと、誰かがいるのですが、先日、珍しく夕方にも関わらず誰もいないという状況で公園のベンチに腰掛けました。 「公園」というより公園の中の場所場所にそれぞれ思い出があるため、記憶を旅するような感じになりました。 その場所を見ると、その場所にまつわる記憶が蘇るような感じですね
狂った情報を祓う
多少涼しくなってきてマシになってきている感はありますが、今年は高気圧による暑さが続いたせいか、狂った人をよく見かけます。 また、今年はなぜか身の回りで脳出血を起こす人が続出しています。 すごく細かいところで言えば、やたらと道に飛び出してくる人がいたり、一時停止や左右確認もなしに細い道から自転車が曲がってきたりというようなこともよく起こります(ちなみになぜかその人に「どいて!」と言われたりもしました)。 直接の原因自体が何かはわかりませんが、ひとまず「狂った情報」が蔓延しているような感じがします。 それは「メディア的
人を動かす
よく「人を動かす」ということについて語られたりします(そういうタイトルの有名な本もありますね)。 ただ、本当は「動かす」というのではありません。普段の日常で考えると一番いいのは「人が勝手に動く」ということのはずです(本来それすら茶番です)。 しかしながら、世間ではどうしても人を動かすということにあたって、変なやり方をしてしまいます。 そしてそれでも動かないので、怒り出すか、変なテクニックに走ろうとするか、自己犠牲に走るかというような感じになっています。 多いのは、「ゴネる」「正論ぽいもので押す」「諦めて自己犠牲に走
男と男の一騎打ち
「男と男の一騎打ち」というような機会はさほど多くありませんが、やはり節目節目でそのような感じのことがちらほらありました。 大口の取引や、起業前に職場の上司と話した時等々もありますが、それらはさほど大したことはありません。 人生で一番の「一騎打ち」はやはり、妻のお義父さんに結婚の挨拶をしに行った時です。 ものの数分ですが、妻に対する気合いと娘に対する気合いがぶつかり合う瞬間ですね。 その時の誇り以上の誇りの感覚はありませんし、また、その時以上に「女が女の顔になる瞬間」を見たことはありません。 夫と父、男と男の本気の愛