声枯れの利用

現在副鼻腔炎が続いています。まあ娘の風邪がうつってそれからという感じなのですが、治りかけてはまた復活しということで、一ヶ月以上続いています。 日中は平気ですが、この副鼻腔炎は寝込みを襲ってきます。こちらは眠っているのでどうしようもありません。 また、日によっては鼻だけが苦しい時もあれば、喉に落ちてきて声が枯れてくるという時もあります。 こうした副鼻腔炎癖がついたのは、コロナ感染の時です。 そしてふと思い返すと、怒りが増幅していた原因の半分くらいはこの副鼻腔炎の息苦しさからくる「ちょっとした酸欠」なのではないかと思っ

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思い切る際の気合い

人間、短期的なストレスにはある程度対応できても、中長期的なものにはなかなか耐えられません。そして、短期的なストレスすら避けてしまうということの理由に「中長期的にかかるストレスを想像すること」が挙げられます。 ストレスというのは負荷であって、「暑いなぁ」とか「スクワットで太ももがきついぞ」といった身体的な負荷もありますが、精神の上でのストレスもあります。 それ自体はなくなりません。ただ、反応を変えるというか、ストレスを感じた時の反射のあり方を変えることはできます。 ただ、根本的な部分を避けて枝葉の部分だけを対処するよ

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現実を無視する

「なんとかなる」の続編です。 それは「現実を無視する」です。 「現実が変わらないのであれば困る」ということになりますが、その意見は自我の意見です。現実を変えるために「なんとかなる」と思い込もうとして、安心したフリをするというのは誤りです。 「なんとかなる」と心底思って安心して意識の向きが明るくなったのに、現実を確認してまた騒ぐということを繰り返してはいけません。 なので、より厳密に言えば、「なんとかなる」の状態になったら、不安・恐怖を伴う思考や妄想を無視する、かつ、現実を無視するということです。 「現実を無視する」

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なんとかなる

「なんとかなる」 これは僕が17歳くらいの時、父の事業破綻の影響が家庭内にも本格化し始めていた時、母が買ってきた招き猫のような置物に書いてあった言葉です。 「なんとかなる」 うん。いい言葉ですね。 ということで、なんとかなるということについて、自我とバトルを繰り広げてみましょう。 「なんとかなるという証拠を見せろ」 というのがアイツこと自我ですね。 なぜですか?なぜ証拠を見せろ、ということになるのでしょうか? 安心したいからですね。 いつの話ですか? ひとまず今ですね。 「今すぐに安心したい」 ということです。 も

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母の日に母と二人きり

母の日に母と二人きりになった時のことについてでも書いておきましょう。 昨日は母の日でした。だからというわけではありませんが、弟と母の様子を見に行きました。 普段は弟がよく面会に行って世話をしてくれています。 風邪をきっかけにしばらく気管支炎のようなものが続いていたので面会を控えていましたが、最近病院に行くと「夜に出る咳は単なる過敏反応」ということだったので、何かが感染することもなし、久しぶりに母のところに行きました。 面会人数が限定されているので、家族総出でというわけにもいかず、弟と二人で行くことになりました。まあ

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アフォリズム 1021-1030

アフォリズム 1021-1030 1021.疲れがもたらす濁り 1022.評価対象としての知能 1023.あえて書くこと 1024.花束がもたらす幸せの時間 1025.弱気と正当化 1026.他人の責任で自己実現を意図すること 1027.女の人生設計 1028.家族法 1029.安易な事件性 1030.先に安らぐこと 1021.疲れがもたらす濁り 疲れていると、同じことをしていても幸せの感度が鈍る。 視界が濁るように、穏やかな感覚も鈍る。 1022.評価対象としての知能 知能が評価対象になることがあるが、よくよく考

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おんぶ散歩の効用

最近いただいたご連絡の中で、娘や育児について触れられているものが結構あったので、おんぶ散歩の効用についてでも書いていきましょう。 こうしたものを書くのは俗に言うイクメンアピールのようで避けたいところですが(行政に定義されてたまるか根性ですね)、特に非公開にする必要もないので触れていきます。 ただ、僕は養子のうさぎ他、たくさんの動物のおかげで世話に関してそれを趣味化する性質があるだけであって、そうでない人に強要するのはやめてください(何とか夫にやらせよう論が多すぎる気がしますが、あまりに詰めると夫は潰れます。男性ホル

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知的障害者との沖縄旅行

僕は今までに沖縄に三回行ったことがあります。 一回目は、小学生の時です。祖父母を含めた家族+いとこで行きました。 三回目は、「ジュゴンの見える丘 2017」で触れていた通り2017年に行きました。 そして間の二回目は19歳の時です。病中に何故か知的障害者の支援施設からボランティアスタッフとして沖縄旅行についていきました。 僕には昔から「どんなものでも可能な限り体験を通じて知りたい」という癖があります。でないと、非言語的な部分や奥にある本質構造が見えず、表面的な論理空間から導いた一般論の範疇になってしまいますからね(

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