一体隣人とは何だろう!

われわれは一体隣人について、彼の限界― 彼がそれでもってわれわれにいわば印づけ、印象づけるもののことを私は考えているのだが― 以外の何ものを把握するだろうか?われわれは彼について、われわれを変化させること― その原因は彼であるが、以外の何ものをも把握しない。 曙光 118 前半 「一体隣人」という字を見て「いっぽんでもニンジン」を思い

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英雄主義の見かけ

敵の真中に身を投じることは、卑怯のしるしかもしれない。 曙光 299 英雄崇拝とその狂信者において、何かを崇拝し、敵の中に飛び込む、死を決して飛び込む様、つまり「殉教」に向かう方向性は、一種の自己陶酔であり、自惚れであり、自慰行為であるのに、その狂信者の間においては「カッコいいこと」とされるため、卑怯のしるしかもしれませんね。 最近か

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新しい根本的な感情

われわれは決定的に無常であるということ。― 昔、人々は自分が神の血統であると示すことによって、人間の栄光の感情にたちいたろうと試みた。これは現在では禁じられた道になった。(中略)そこで現在人々は反対の方向を試みる。人類がその方へと向かってゆく道を、人類の栄光および神との親類関係の証明に奉仕させようとする。ああ、これもやはり無駄だ!(中

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英雄崇拝とその狂信者

彼は、自分とその同類が虐待されるのを我慢し、悲惨の全体を、新しい種類の自己欺瞞とお上品な嘘によって、神のさらに大きな栄光のためにさえなるように解釈するのである。彼は自己に敵対し、虐待される者として、その際殉教のようなものを感じる。― こうして彼はその自惚れの絶頂に至る。― この種の人間は、たとえばナポレオンの回りにいた。否、おそらくナ

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