風見鶏の表看板

世の中では「いかに人の注目を集めるか?」ということ競い、その結果を渇望して「広告合戦」のようなことが繰り広げられています。

人々の日常の意識の向き先がマスメディア一極集中から、ウェブそしてアプリケーションへとどんどんと分散していきましたが、大体は人の注目を集めようとしすぎた故に疎がられ、その場所は過疎化し、また新たな場所に人々の意識は移るという流れが続いています。

古くはメルマガ登録、その後はSNSと矛先は異なりますが、結局「広告がしつこく、鬱陶しい」ということになって、人の意識を長期的に釘付けにすることはできなくなってきました。

それほどに普段何に触れているか、直近に何を観たかということに意識は非常に大きく影響されるということです。

「次もある」と思わせてたくさんサービスさせようとする人たち

「またお願いしようと思っています」

そんなセリフも社交辞令的によく聞きますが、その「また」の時には根本的にその分野に興味がなくなっているということすらあり得るので、下手にそういうことは言わないほうがいいと思っています。

そのようなことは心の中だけで思っておいて、普通に礼を言うくらいでいいのですが、人によっては、依頼や注文をする前に「今後もお願いしようと思っていますから」と言った感じで、先走って言う人もいます。

そうしたことを言うと、単に未来の「たられば」でうまく釣って、「サービスさせよう」というスケベ心を持っているとすら思われかねません。

少なくとも僕はそうした言葉を使う人には気をつけています。

頑張ってくれる、負けてくれると思っている

まれに口癖のようになってしまっていて、特に「次もあると思わせてたくさんサービスさせよう」という邪念すら無くそうした言葉を使ってしまう人もいます。しかし、たいていは少なからず邪念を持っていると思っています。

意識的か、もしくは経験則的で無意識的なものなのかはわかりませんが、そうした事を言うと、相手が頑張ってくれる、場合によっては負けてくれる、とすら思っているような感があるからです。

少なからず、少しばかりは得したいというような気持ちは含まれているでしょう。

「そんなことは思っていない、本当に今後もお願いしようと思っている」と考えていたとしても、その思い自体も信用することはできません。

確かに「今」はそう思っている

全ては、諸行無常ゆえに変化していきます。人の気持ちなどはあてになりません。その場では本当にそう思っていても、未来に同じことを思っているのかはわからないのです。

そして、環境が変わって意図せず言動を一致させられないということも可能性としては常にあります。

「あの時は本当にそう思っていました」といっても、現実的には裏切りになります。少なくとも相手に何かしらの期待をさせて得をしようとした分だけ、相手を利用し、裏切っています。

だから下手に約束などはしてはいけませんし、そんな不確定な未来のことを餌に相手を釣ろうとしてもいけないのです。

下手に相手に期待させることは相手の怒りや悲しみの種を作ってしまうことになります。そうした不確定要素が1%でもあるのなら、「また次もお願いしようと思っています」というようなことは言わないほうが良いはずです。

確かに「今」はそう思っています。そこに嘘はありません。

しかし、「別に究極的にはそれとは違った結果になってもいいや」ということを思いながら、「そう言えば相手がもっとサービスしてくれるだろう」などと自らの都合のためにそんなセリフを吐くのならば、一種の未必の故意になります。

下手にそうした言葉を使うと、相手によってはサービスどころか逆に信用してくれなくなる場合がありますので慎むほうが賢明です。

日和見な昼行灯

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