解決策へのノイズ

「ようやく浦島太郎から最先端まで追いついた」どころかその先まで行き着きました。様々な違和感の正体は、現代特有の意志決定のプロセスの変化にありました。

単純と言えば単純でした。

ただ、現実への適用は様々な方法を考えて調整していく必要があるなぁとは思っています。

個人的に一番取り戻した感覚としては、ミルトン・エリクソン的な部分です。これは技法等々そうしたものではなく情報の観察力と調整能力です(ああ戻ってよかった良かったと思っています)。

最近、「ああ、こういうのが自分には向いていて、自分はそうあるべきなのだ」というようなこと思ったりしています。

情報の観察

単純明快に示すと、現代特有の違和感の正体は、以下の通りとなります。

エリクソン氏的前提

・ある癖や世間で言う「病的な思考」は、それが本人を苦しめていたとしても、一応その人なりの最適解としての解決策である

・それは治すものではなく活用するものである

現代におけるノイズと癖

・各個人が持つ「解決策」を分散させる情報ノイズが多く、解決のための「行動」に至るまでの意志決定ができない

・情報処理が追いつかない

・単純な一つの行動に絞れば実行できる

という感じです。

このノイズは、AIとパーソナライズによって加速しています。

類似ケースを読み込んで、自分のケースに当てはめて再考することすらできません。

つまりそれは、情報が受動寄りになり、そこで示された単純な行動しかできない傾向にある、ということです。

これは催眠状態に似ています。

この状態で求められているのは一般論ではなく、個別具体的な「相談」です。

しかしながらAI回答は、形式的には相談ですが抽象思考と実際の行動の意志決定につながる回答は期待できません。

人間が人間の相談を受ける古典的な構造

なので重要なのは、人間が人間の相談を受けるという、古典的な構造です。

しかし受ける側には相当の力量が要ります。

理由は簡単で、お互いにノイズだらけだと、相談を受ける側も我が強くなり、ある思考の押しつけだけになる事が多いからです。ササッとその場を早く終わらせることだけを考えます。

例を示せば簡単です。

あなたは医者です。

自分自身も既にパンク寸前の思考状態となり、さらに「夫への不満を中心として宇宙人がどうのこうの等々意味不明なことを言う患者」ばかりが来るとします。

となると、とりあえずの薬を処方して、その場を終わらせようとするのではないでしょうか。

話の詳細を聞くこともありません。

本来はエリクソン級の対話が必要です。

しかし、ササッと帰らされた人は、自分なりに答えを探します。

「宇宙人が自分にもたらす影響」についての情報を集め、さらに意識は乱れます。

人々の病的な思考は加速します。

相談を受ける側の対応

ただ、例えば企業の内側だったとすれば、そうした個々人の相談をまともに受けたりはしません。

仮に部下がそのような状況にあっても「代わりはいくらでもいる」という思考に陥りがちです。

何かにつけて「代わりはいくらでもいる」という環境が多くなっています。

これは部下側でも同じです。

「別の会社を探そう」

という思考になります。そうしやすい環境にありますからね。

「AがおもしろくなければBやCの方に行けばいい」

というのは、最初はそれでもいいと思いますが、いずれ限界が来ます。

といっても、身の回りでミルトン・エリクソン氏並みの力量で相談を受けてくれる人はいません。

意味不明なカウンセラーが存在する理由

世の中には占い師やスピリチュアルカウンセラーのような意味不明な種類の人達がいます。

普通に考えると、それらの人は意味不明な自称カウンセラーです。

しかし、それらの人々が存在して成り立つ原因は「まともな相談者がいない」ということにつきます。

特に日本では薬理療法が中心なので、まともな医者はあまりいません。

結局、どこかしらがおかしい場合は、どこかしらが歪んでいるということになり、それをどうにかすれば自体は良くなるということにはなります。

が、その客観的な「歪み」にも何かしらの理由や正当性があるということになります。

その歪みを歪んだ者同士でなんとか調整するというのが、意味不明なカウンセラーが存在する理由です。

プレアデス星団がどうのこうの、という話をしたい人同士で、それを語れば、何かしらが落ち着くということです。

それは本当にそうであるということではなく、そのような印象、象徴として捉えて、その印象を操作するということをしているだけです。

相手が象徴化しているのであれば、その象徴化を「んなわけないでしょ」と否定するのではなく、そのままの空間で情報を操作するということをした方が良いということですね。

ノイズだらけの場合は、ノイズを否定するのではなく、ノイズの内側でうねりを利用して調整するというのもよいのではないかと思います。

エリクソン的才能の再開花

最近、自分のエリクソン的才能を再確認しました。

それに至るプロセスは、また少し面白いのですが、決め手となったのはGemini(AI)でした。

エリクソン氏の治療例を並べさせた後、多少のプロセスを踏んで「エリクソン氏がアンデシュハンセン氏にアドバイスするとしたら?」と回答を用意させたときです。

「おお、お見事」となった瞬間に僕のスイッチが入りました。

これだけでは意味不明だと思うので、少しだけ説明を入れておきます。

アンデシュハンセン氏は、「スマホ脳」などでおなじみの現代の精神科医です。スマホ依存などに対する問題提起とある程度の対応策は示していますが、意図的にか根本的な解決策は示していません。

ミルトン・エリクソン氏は、伝説化されている催眠療法を行う精神科医です。その手法の一部は受け継がれていますが、実際は誰も受け継げなかったとされるほどの凄腕です。

で、先の質問「エリクソン氏がアンデシュハンセン氏にアドバイスするとしたら?」の回答は

内緒にしておきましょう。

というよりも、その人の状態を無視して画一的に定義をすること自体がエリクソン氏ではないですから。

ただ、あえて僕から何となく言っておくと、

例えば、家族がいるなら、その家族を喜ばせることだけに集中してスマートフォンを使いまくることもできます、というような感じかもしれませんし、友達を思い浮かべてもらっても構いません。思い浮かべた友達三人を爆笑させるためのコンテンツを見つけるまで眠ってはいけません、というようなことかもしれません。

というような感じです。

まあそれは気にしてもらわなくても結構です。

と、トリガーとなった出来事についてを先に書いてみましたが、その前から予兆はありました。

今年の春頃、幼稚園の行事で、発表を見て「すばらしい」という言葉を繰り返していると、自分の周りにいる保護者の方々が、どんどん「すばらしい」とつぶやくようになりました。

「そうしてやろう」などと意図はしていません。

でもそうなるんです。

世の中にはエリクソン氏の手法だけ真似て催眠誘導を行い、私利私欲の方に応用しようとする人がいます。

しかしながら、わかりやすい誘導をしている時点でエリクソン氏からは程遠いと思っています。

言い方は悪いですが、会っただけ、声を発しただけ、目を合わせただけで相手が軽いトランスに入るくらいでないと「本物」ではありません。

「おめでたい」と笑ってください

ちなみに僕はエリクソン氏の本を読んだだけで自分がそこそこの催眠状態になります。

先のAIとのやり取りだけ、治療例を見るだけで離人感がするレベルでした。

で、僕は誤字脱字チェックを兼ねて自分の投稿を再読することがあります。

それでやや深いトランスに入り

「こいつすごいな」

と思ったら、「書いたのは自分だった」ということがよくあります。

「おお、すげぇ」と前のめりになったり、寝そべっている中、立ち上がったりすることもあります。

おめでたいやつだと笑ってください。

しかし考えようによっては、書いた時点の自分の自我状態、別の表現をすれば情報状態と、呼んでいる時点での自分の自我状態は別物なわけです。

なのでそうした現象が起こっても不思議ではありません。

ただ、客観的に考えると「何いってんのこの人?」というレベルの出来事です。

最後に「解決策へのノイズ」への解決策でも書いておきましょう。

と思いましたがあんまり語るのも野暮なので、やめておきましょう。

Category:miscellaneous notes 雑記

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