「まだひとりぼっち?」というような広告がよく出ます。まだどころか全存在は永久に独りです。独りでないかのように感じるのは錯覚ですから、独りであっても、誰かといても、結局は独りなのだ、と肝に銘じるどころかそれが自然です。
好きな人がいればその人と結婚すればいいですが、「出会いがないけど結婚がしたい」という人は、今一度自分がどういう理屈でそのようなことを考えているのか考えてみたほうがいいでしょう。
「みんなが言っている」というのは、世間の人を説得できても、僕のような類には通用しません。それは根拠として乏しいどころかナンセンスだからです。
犀の角のようにただ独り歩め
「犀の角のようにただ独り歩め」という文は、スッタニパータ「蛇の章」に出てくるものですが、自称アーティストがカッコをつけるためにこの言葉をよく使うのを見かけます。SNSでも引用しているところを見かけます。
おそらく彼らが引用している「犀の角のようにただ独り歩め」の本意は「アバンギャルド」と同義語であり、他のとりまきに影響されずに「オレはやるぜ、貫くぜ」的なことであって、本来の意味とは全く異なります。
マイク片手に酒を飲みながら「犀の角のようにただ独り歩め」と言われても困ります。それは「ひとりでできるもん!」の類語的扱いなだけで、「はじめてのおつかい」で「一人でできたよ」というようなことと変わりありません。
群れたがりを批判する者同士で群れている
「犀の角のようにただ独り歩め」というものは、例えば友だちといる時も、その「楽しさ」がふとした時に自分の心を奪ってしまうので、誰といる時でもそういった危険性に気をつけなさい、というような旨のはずですが、アバンギャルドな人たちは、ライブハウスやクラブで絆をエンジョイしています。群れたがりを批判する者同士で群れているという矛盾に気づいていないのかもしれません。
己の心を見張ることなく、飲みに行ったり、ゴルフに行ったり、ごまかしてばかりの人とは距離を置かねばなりません。そういう人は友だちではないというより、関わる必要がありません。それでも関わりたいと思うのはなぜでしょうか。その時に「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉に込められた思いを考えてみることです。
楽しんでいるつもりでも、衝動にやらされただけですから、リア充という言葉など気にせずに、彼らはそんな衝動と、社会からの影響で「やらされている」だけなのだから、慈悲の心で接してください。
もしそういうものに振り回されていない人がいても、慎重に自分の心だけは見張らねばなりません。元々薄口なだけで、衝動が弱く、ぼーっとしているだけかもしれません。
共感者がいなければ不安
共感者がいてもそれに嬉しさを感じてしまうのは条件反射で、即時的な感情ですので、それほど気にしなくてもいいですが、その喜びもすぐに消えるということを見なければなりません。それを安心の条件にだけはしてはいけません。
「共感者がいた」と安心してしまうのは、フィルターにかけられた「群れ」であり、「共感者がいなければ不安」ということの裏返しです。
そういう共感の喜びも、そういった無駄な不安を呼び起こす原因になりかねないことを、喜んだ直後には思い返したほうが賢明でしょう。
もしそんなことを意図的か無意識的か問わず理解し、自然にできているような人がいれば、互いに気をつけながらもその人と共に歩めばいいだけで、もしそんな人がいないのなら独りでいることです。
ついでなので、引用して置いておきましょう。
ちなみに「犀の角のように」というよりも「犀のように」の方が訳としては正しいと考えていますが、本質的にはあまり関係の無いことなので、混乱や無駄な解釈論争を避けるために日本語訳のものをそのまま引用します。
犀の角
あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況んや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。
交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまとわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。
林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人には従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
仲間の中におれば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛 は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。
四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。
出家者でありながらなお不満の念をいだいている人々がいる。また家に住まう在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少く、犀の角のようにただ独り歩め。
葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを棄て去って、在家の束縛を断ち切って、健(たけ)き人はただ独り歩め。
もしも汝が、賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。しかしもしも汝が、賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得ないならぱ、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。
われらは実に朋友を得る幸を讃め称える。自分よりも勝れあるいは等しい朋友には親しく近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過(つみとが)のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。
金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝ける黄金の腕輪を、一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。
このように二人でいるならば、われに饒舌といさかいとが起るであろう。未来にこの恐れのあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。
実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで心を攪乱する。欲望の対象にはこの患(うれ)いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。
これはわたくしにとって災害であり、腫物であり、禍であり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。
寒さと暑さと、飢えと渇(かつ)えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、― これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。
肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象が、その群を離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。
集会を楽しむ人には、暫時の解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔(ブッダ)のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。
相争う哲学的見解を超え、(さとりに至る)決定に達し、道を得ている人は、「われは智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。
貪ることなく、詐(いつわ)ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。
義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽っている人に、みずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。
学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。
世の中の遊戯や娯楽や快楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め。
妻子も父母も、財宝も穀物も、親族やそのほかすべての欲望までも、すべて拾てて、犀の角のようにただ独り歩め。
「これは執著である。ここには楽しみは少く、快い味わいも少くて、苦しみが多い。これは魚を釣る針である」と知って、賢者は、犀のようにただ独り歩め。
水の中の魚が網を破るように、また火がすでに焼いたところに戻ってこないように、諸々の(煩悩の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。
俯して視、とめどなくうろつくことなく、諸々の感官を防いで守り、こころを護り(慎み)、(煩悩の)流れ出ることなく、(煩悩の火に)焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。
葉の落ちたパーリチャッタ樹のように、在家者の諸々のしるしを除き去って、出家して袈裟の衣をまとい、犀の角のようにただ独り歩め。
諸々の味を貪ることなく、えり好みすることなく、他人を養うことなく、戸ごとに食を乞い、家々に心をつなぐことなく、犀の角のようにただ独り歩め。
こころの五つの覆いを断ち切って、すべて付随して起る悪しき悩み(随煩悩)を除き去り、なにものかにたよることなく、愛念の過ちを絶ち切って、犀の角のようにただ独り歩め。
以前に経験した楽しみと苦しみとを擲(なげう)ち、また快(こころよ)さと憂いとを擲って、清らかな平静と安らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。
最高の目的を達成するために努力策励し、こころ怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具(そな)え、犀の角のようにただ独り歩め。
独座と禅定を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には患いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ歩め。
妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。
音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。
歯牙強く獣どもの王である獅子が他の獣にうち勝ち制圧してふるまうように、辺地の坐臥に親しめ。犀の角のようにただ独り歩め。
慈しみと平静とあわれみと解脱と喜びとを時に応じて修め、世間すべてに背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。
貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。
今のひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。
ブッダのことば スッタニパータ 第1 蛇の章 3 犀の角
中村元訳 岩波文庫 1958
一瞬命令されているように感じてしまいますが、本質が見えてくれば「当たり前のただの感想」のように感じるようになります。これはヒントにしかなりません。「人格者とはこういう人なんだろうなぁ」ということを思い、戒律的なことを闇雲に守ることだけに意識が向いてしまうことはかえって危険です。ギムキョな先生に命令されているように「これじゃあ都合悪いな」となりそうですが、そう思ってしまうのはアイツの内にいるからです。反発心が生まれたのなら、その反発心を観察してみてください。闇雲に聞き入れることもなく、闇雲に反発することもなく、自分の心を観察しながら読んでみると面白いでしょう。「こうなんだ、これはこう決まっている」という人は、その考えへの執着と、ギムキョ的な盲目があります。そんなことは度外視しながら、漫画を読むように読んでみてはいかがでしょうか。
結婚の偶然 曙光 150
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