これで900記事目になります。900回目の投稿ということで「第900回投稿記念」です。前回の第800回投稿記念は、2016年5月7日だったので、1年3ヶ月かけて100記事書いたということになります。
さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。
ユーザーさんの滞在時間を見ていたら、最高記録で13時間超えという半日以上の記録があり、「猛者だなぁ」という印象を受けました。
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何だかんだで、1000回記念になっても曙光はまだ終わらないということが確定しています。
さて、今回も例のごとくアクセス解析らへんから進めていきましょう。
アクセス状況
投稿記念の回お馴染みのアクセス状況です。
何だかんだで、一日のセッション数は去年と比較して倍くらいになっています。
といっても実は心理学系のページがすごいアクセス数で、ランディングページの大半がそっちです。
で、毎度おなじみサイト内検索ですが、ぶっちぎりで一位のワードがありました。
それは「アイツ」です。
常連さんには馴染みのワードですが、ご新規さんには馴染みのないワードですからね。
あとは「笑い」とか「煩い」、そして安定の「Z会」です。「意志」や「自我」もまあまあでしたね。
面白かったのは、以前まで「○玉」だったのが最近は「玉」で検索されていることが多いことです。Z会ではなく「Z」の検索もやたらと多かったのが印象的でした。
あと「マニア」としか思えないようなワードもたくさんありました「人に投資」とかですね。
そして何だか仏教系や心理学系も多かったですし、何故か政治学系のワードもやたらとありました。
こういうところに人の関心が表れるのでまあまあ面白かったりします。
ユーザーさんの属性としては、以前よりも若年層のアクセス数が増えています。そして男性ユーザーさんの方がやや多くなってきています。
エリアとしては、東京、大阪、神奈川、愛知、京都、北海道、埼玉、兵庫、千葉、福岡というような順番です。
それでは今回もいつもと少し違った感じで書いていきましょう。
随分様変わりしたなぁ
今年に入ってから、やたらといろいろなものにガタがきたりすることが多いなぁと思いながらも、「長年使っているのだからそれも当然か」と思うことがあります。
またここ数年で、友人も大阪府北部や滋賀県南部に住んだりと、いろいろと環境が変化しているような気もしています。
つい数年前まで台車で近所にビールケースを運んでいたおばちゃんが、高齢者御用達の通称「車」を押しながら歩いている姿なんかを見ると、変化を感じざるを得ません。
考えてみれば、僕達が小学生の時にあった駄菓子屋はほぼ全滅ですし、銭湯なんかも結構なくなっています。
近くの工場は、学生マンションになり、日に日に近所は様変わりしていっているような気がします。
幼き頃から家族で通っている近所の飲食店なども、もう店主が70代だったりと、もうそう遠くはない先に店じまいをしてしまうだろうなんて思っています。
まあたまに京都に本社があるような会社の社長なんかで、「東京ではスピードが早すぎて見失ってしまうことも多い。京都くらいのスピードがちょうどいい」なんてなことを僻みでも何でもなく言う人がいます。
僕は東京に住んだこともないのでなんとも言えませんが、京都に生まれ育っているため、この時間の流れに身体がぴったり合っているのでしょう、焦ることも、息切れすることもありません。
花火大会での思い出
そういえば、いまは花火大会なんかのシーズンですね。
今までの間に、花火大会にはっきり行ったのは数回ですが、複数回行ったのは琵琶湖の花火大会と宇治の花火大会くらいです。あとは大阪の南の方と(連れて行ってもらったのでどこなのかははっきり覚えていません)と、中学生の時にたまたま見た近江八幡らへんの花火です。
ということで、花火大会のシーズンに合わせて、何度か行った花火大会の思い出についてでも書いていきましょう。
爆混みの国道1号線で
まず琵琶湖の花火大会ですが、案の定帰りの国道1号線は非常に混んでおり、僕は単車で行っていたため渋滞の車の中すいすい進んでいました。
僕の前には、アメリカンの400ccが後ろに女の子を乗せて走っていました(全然知らない人です)。彼も車の脇をすいすい進んでいました。
そんな折、彼の単車は黒バリのセダンにハンドルがギーッと擦ってしまうのでした。
…
車から出てきた人に胸ぐらをつかまれ、財布の中身を全て奪われていました。
その時の印象が色濃く残っており、当の花火大会の記憶はあまりありません。
「人間は危険や失敗の記憶をよく記憶する」
というのが正しいということです。
宇治の花火大会
琵琶湖の花火大会の思い出はそんな感じなので、あまり再度行く気がせずに、ほとんど毎年宇治の花火大会にだけ行くことにしていました。
僕の気質からすると、郊外型の宇治市は相性がよくなさそうですが、宇治方面には良い思い出しかなく、何故か昔から気持ちが楽になる場所です。
ということで、十代後半から二十代前半の頃は、毎年のように宇治の花火大会に行っていました。
そうすると、何故かブルーシートと飲み物を出してくれる人が現れ出し、その人の家の前で毎年見るという謎のご縁があったりしました。
最近は、久しぶりに行きたいなぁと思っても、毎年のように宇治川花火大会は中止になることが多く少し残念です。
またいつかいきたいなぁと思っています。
揺れる人格
まあそんな感じで少しだけ十代付近のことを思い出したので、今までの間の僕の人格の移り変わりを少しだけお送りしていきましょう。
概ね、中1になるまでは、タダの坊っちゃんです。
そしてそれから1年刻みくらいで二重人格だと思われるほどに性格が真逆になったりしていました。
明るく能天気なお笑い芸人と気難しく思慮深い哲学者が入れ替わるような感じです。
だから出会った時期によっては僕の印象はバラバラだと思います。一貫してその流れを見てきたのは家族や中高の同級生くらいのもので、本当に二つの人格が入れ替わるくらいの変わりようだったと思います。
ただ、友人などに言わせると、モードが違うだけで特に本質的なところは変化していないということのようでした。
で、20代半ばくらいには安定し、完成形となりかけたのですが、その時に一度崩壊しかけました。いや、崩壊したと言っても良いでしょう。
病気になったのは10代後半ですが、その回復とともに完成し最高に楽しく勢いのある毎日だったのが一点、ヘナヘナになってしまいました。
元の元気さのおかげで、何とか要所要所は突破しましたが、その時のダメージはその後数年間僕を苦しめ続けるのでした。
「南風の風下で」で少し触れているエピソードです。
その後、第1段階の開眼(という表現をしておきましょう)をするまでの間、事あるごとに食事は喉を通らず、普段はポカポカの掌や足先が急激に冷え、内臓が常に小刻みに動いているような感覚に襲われることがたまにありました。
アイツの内の中、何かにつけて汎用性の高い法則性を見出そうとして理論づけていくたび、期待したものとは逆方向の結果に向かっていったような気がします。
今思うと、「抵抗することによって不足を支える」ということをしていたのだと思います。完全に錯覚を実在とし、錯覚を強化してしまうことをしてしまっていたという感じです。
例えば、常識のようなものを持ち出して、自分の都合を押し付けてくる人がいます。
そうしたときにその意見を受け入れたりしてしまうと、ロクなことはないのはもちろん、変に対抗してしまうことすら、ロクなことは起こらないということです。
それより少し前なら、まだ元気だった頃なら「バカだコイツ」と聞き流せたようなことでも、なぜか聞き流せない、そんな状況が続きました。
でもやはり、多少の穴はあったとしても、シナシナになる少し前、元気だった頃の自分が正しかったのです。
そうして僕をシナシナにしてきた人たちに対抗するべく行動を起こしていたこと自体が間違いだったのです。
ただ、こうした経験を経て、僕は完成しました。
だから別にいいのです。
それでは、引き続きご愛読くださいませ。
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