これで1000記事目になります。1000回目の投稿ということで「第1000回投稿記念」です。桁が一つ増えました。なお、ブログスタートから3年半くらいです。
前回の第900回投稿記念は、2017年8月13日だったので、前回からの100記事はまあまあの速度で投稿したという感じです。その前は、1年3ヶ月かけて100記事でしたが、今回は早かったですね。
今回の投稿記念の回は、「桁がひとつ上がったぞ」記念ということで、またまた日を分割して書いていきます。そして、さらにいつもと違ったような感じで書いていきましょう。
さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。
また、contactからご連絡いただいた方、コメントをいただいた方、ありがとうございます。
1000記事に達したということで、しばらくの間は、読みにくい箇所であったり誤字脱字、誤変換なんかを修正しつつ、特別企画以外の箇所もなるべくオリジナルは変えないように、若干の追記なんかをしていこうと思います。
といっても、思いついたら雑記、なんとなく思いついたら曙光を進めたりもしていきます。
アクセス状況
さてさて、今回も例のごとくアクセス解析らへんから進めていきましょう。といっても、普通のデータ参照は一月ちょっと前の前回も触れたので、今回はもう少し幅広くブログスタートからの歴史を振り返るような形で進めていきましょう。
あまり気にしていなかったのですが、年間を通して見てみると、約66%がスマートフォンからのアクセスということでした。
いつもとは違う形で、ということなので、セッションあたりの平均滞在時間が一番長いエリアを調べてみました。
1位は広島でした。意外なのかどうなのかはわかりませんが、そのような結果になっています。
その後は、京都、大阪、新潟、宮城、沖縄、兵庫、長野、富山、青森といった感じです。やはり京阪神エリアは滞在時間が長い傾向にあるのでしょうか。
そしてアナリティクスにはなんだかよくわからない指標があるのですが、「購買意向の強いセグメント」というものがあります。
その中のトップは、
- Education/Foreign Language Study
- Education/Primary & Secondary Schools
という感じでした。
…
そう言えば意外とこのような内容のブログながら義務教育や高校など、学校関係に引用されている事が多いようです(被リンクを辿った感じで調べてみました)。
アクセス経路は、約80%が検索エンジンから、そして、17%くらいがダイレクトといった感じです。
といってもなんだかんだでソーシャルから年間1000人位の方が訪問されているようです。少し意外でした。
サイト内検索
毎度おなじみサイト内検索ですが、笑い、アイツ、煩い、エネルギー、といった内容のサイト内検索が上位を占めていました。
同じようなキーワードでカタカナ、ひらがな、複数の検索履歴があったので、ここに一応注意点を書いておきます。
まあサイト内検索の欠点としては、キーワードの揺れに対応していないことです。
投稿数も1000になり、写真詳細ページなんかを合わせると結構な数のページがあるのですが、どうしてもキーワード自体には厳密で、ぴったり一致しないと検索結果一覧に表示されませんのでご注意ください。
キーワードの揺れに対応していない
これに関してはGoogleのようにはいきません。
カタカナかひらがなかと言ったところもぴったり一致しないと検索に引っかからないという感じですので、いちおう両方を試してもらうか、長文検索のワードを短くしてもらったりすることでご希望のページが現れやすくなるでしょう。
あと、スペース区切りでアンド検索ができるので、少し長めのキーワードの場合、単語をスペース区切りしてもらうと、ひっかかることがあります。
問いと問題視
さて、投稿記念の回ということで、いつもと少し違ったような感じで、思い出というか僕が現在の僕になったプロセス、その最重要部分について少しだけ書いていこうと思います。
もともと思考癖があり、自分が教師であれば絶対にこんな生徒は嫌だと思うくらいのディベーダーのような十代を送りつつ、一方で、好きな先生の授業以外ではほとんど勉強せず、高校生の頃は毎日学校で寝ているような感じでした。
おそらくそのまま育っていたなら、こんな風にはなっていなかったと思いますが、結果論ですので何とも言えません。
おそらく何事もなければ、微妙な大学に行き、遊び呆けて詭弁を駆使して何処かに就職でもして、という感じの流れだったと思います。
せっかくの投稿記念なので、といっても僕だけの話ではないので、要所をかいつまんで書いていきます。
アンチ宗教から
もう常連さんにはおなじみだと思いますが、僕は宗教に絡んでいないにも関わらず、知識的にもおそらく宗教学者くらい色々なことを知っています。心理学者でもないにも関わらず、心理学者くらい研究しています。
ということで事の発端は、アンチ宗教から始まっています。
今では、アンチであることが無意味であり、一種の抵抗を持って一種の執着になると思っていますので、特にアンチではありませんが、事の発端はアンチ宗教です。
だから、宗教には絡んでいませんし、宗教ではないという宗教まがいの集団にも属していません。
そうした団体に属する気もなければ、旗揚げなんてするわけがありません。
純粋な問いと、それを問題視することは別物です。
問題視するという場合は、その問題に取り込まれています。
クイズやなぞなぞなら、純粋に問いを楽しむことができますが、それを我が事と問題視した時点で、問題に取り込まれ、問題が問題となり、問題の内側に閉じ込められてしまうことになります。
激動の18歳
僕はある程度分野として詳しい分野が幾つかあります。
そしてその分野に関しては、その分野を知るというきっかけがそれぞれあるのです。
ただ単に大学で専攻して、と言った感じに受け身で学んでいるとたいして身につくものではありません。
実際に学部レベルでは、素人に毛が生えたレベルで、よほど根を詰めて勉強した人やその学習内容の延長の職業に就いている人でない限り、卒業10年もすればほとんどの内容を忘れているはずです。
―
僕にとってかなり本気で追い求めることになった分野、詳しくなってしまった分野、その内容自体のきっかけとなったものは、18歳の時に食らった「トリプルパンチ」です。それまでの常識を全て崩していくような、ショックの連続です。
ひとつは、父の廃業でした。それがきっかけで、経済や金融、そして法律に関しての知識欲が増しました。
それは、父に何が足りなかったかというようなものでもなく、この先自分が強くあるために、というようなものでもなく単に「何だったのか?」というところです。
ただ、この点に関してはそれほどのショックではありません。
それ以上のショックが同時に二発も来てしまうのです。
宗教&LGBT
人が表面上付き合っていく中では、特に問題のない宗教やLGBT(Lesbian Gay Bisexual Transgender)という思想信条や性的な属性についての問題が、傍目で取り扱うという感じではなく、ダイレクトにやってきたのです。
ということで、当時の彼女一家が宗教にハマっている一族であり、同時にバイ・セクシャルというダブルの課題が18歳の僕にやってきたのです。
まずはバイ・セクシャルの方からいきましょう。
単純に言うと、彼女には彼女がいた、ということです。
頭が崩壊しそうになりました。
「別れればそれでいい」という問題ではなく、彼女のことが好きだったからこそ頭が崩壊しそうになりました。
理屈上は仲のいい親友がいるとでも思っておけば良いと思っていたのですが、僕の身体は露骨に反応しました。
Z会が一転、何の反応もしなくなったのです。
理詰めでおかしいと言っても、感情の世界に理詰めは通用しません。
そして、何より僕の中の常識が体感として崩れ去りました。
そんなこんなで、友人に相談のようなことをしに行きました。
「頭では理解しようとしていても、やっぱり無理だ。僕はどうしていくべきだろう」
そんなことをひとまず相談してみようと、友人の中でも最も知的で穏やかな友人(男性)の家に向かうのでした。
そして、話をしてみると、
「実はオレもなんだ」
と。
世の中というか世界を信じられなくなりました。
友人である彼には彼女がいましたが、性的興奮というか「胸のドキドキ」を感じるのは、相手が男しか無理だということを話してきたのです。
別に僕が今まで騙されていた、という意味で信じられなくなったという感じではありません。
それまでの間に朧気ながらも捉えつつあった「普通」が見事に崩壊していく瞬間でした。
そんな状態で頭が真っ白になっていたころ、何故か僕は夜の公園に行って、恩師である「生物」の先生に電話をかけるのでした。
今となると根拠がよくわからないのですが、「生物」の先生なら、何かの糸口を知っているかもしれない、そんな感じで電話をしてみるのでした。
「生物学的におかしくないですか?」
そんな質問もしていたと思います。
で、先生は次のように言いました。
「君がその子を好きなんだったら、それだけでいいんじゃないのか?」
僕は泣きながら、夜の公園に崩れ落ちるのでした。
知った上で受け入れるか、それとも拒絶し論破するのか
そうこうしながらも、僕はその子との付き合いを続けていました。
「別に両思いならそれでいいだろう」
そんなことを思いながら、いつも明るくて元気なその子に引っ張られるように、「思い出を作っていこう」と思いながら、若き日の1ページを増やしていたのです。
そんな中、「連れていきたいところがあるの」
という感じで、場所はシークレットでお楽しみという感じで、ある日の夕方、彼女の家まで彼女を迎えに行くのでした。
そして彼女をバイクの後ろに乗せて、案内されるがまま、畑のような所まで来ました。
するとなぜか道の角々に人が立っているのです。
「あの人も関係者だから」
僕の中では「???」でした。
僕自身が楽器を弾いていたこともあり、フォークソングか何かのイベントだろうか、と思っていました。
で、着いた先は、まあ有名な宗教の集会所のようなところでした。
その場で、キレて帰っても良かったのですが、彼女にこんなことをさせる原動力は何か、それを理解しないままに帰るわけにはいかない、という「知りたがり癖」がやってきて、自分の中で決着をつけるまでいくらでもいてやるという気持ちになりました。
バイ・セクシャルのショックもあったからです。
何も知らぬまま無闇に拒絶するということは思考癖のある僕の中にはありませんでした。
すべて知った上で受け入れるか、それともすべて知った上で拒絶してこてんぱんに論破するのかの二択しかありませんでした。
いざ決戦の場へ
宗教施設に案内された僕は、受付の人に「名前と生年月日を書いてください」というようなことを言われました。
ゲストバッジを渡すので、という感じでしたが、何となく嫌な感じがしました。
なぜならその紙には「入信申込書」というような記載があったからです。
「大丈夫だから」と言われ、あげく「帰りにもらってあなたの書いたものを供えてお勤めするから」というような説得をされ、ここまで来たらとことんまで付き合ってやるという気持ちになりました。
100人以上の信者のような人がワイワイやっていました。
傍から見るとただの町内会の集まりです。
そしてそのうち、そこの代表の説法的なものが大画面のモニタから映し出される時間になりました。
まあ初心者向けに教義をゼロから話すという類のものではなく、既に信者になっている人向けに「頑張っとるか」的なことを言ったり、「本日の法話」的なものを話す感じでした。
人生のうちでまあまあトップクラスに入るほどの集中力で僕はその話を聞くことにしました。
すると、信者の男性が僕に近寄ってきて、「やけに熱心ですね。ここはいい人ばっかりですし、すごく居心地がいいですよ。みんな仲間ですから」というようなことを言ってきました。
「仲間とか、居心地とかそういうのは関係ないんじゃないですか?」
18歳の僕は既に喧嘩モードでした。
そんなこんなで「表に出よう」ということになり、その会場を少し出た所にある自販機の近くでしゃがみ込み、彼女と話をすることになりました。
「どうだった?」
「価値観が合わない」
…
沈黙が流れました。
そうしているうちに、彼女は泣き出しました。
「お父さんが、『お前と一緒になる場合、もし何にも信仰がないなら入信してもらう』って言ってて」
「いや、自分たちが本当に正しく思い、それで人が幸せになれると思っているのなら、むしろ『何かに信仰があっても入ってもらう』でないとおかしくないか?」
そう言うと、彼女の涙は止まりませんでした。
でも、宗教が云々以前に話がおかしいはずです。
本当に自分たちが正しい道だと思っているのなら、他に信仰がある/ないは関係ないはずです。
で、なぜ今、彼女は泣いているのだろう、そんなことをずっと考えていました。
それはその宗教を責めても始まりません。
今ほどではありませんでしたが、いくらでもこてんぱんに論破することはできました。
もし、僕のことに無関心だったり、僕に対して敵意を持っているのなら、涙は流れていなかったでしょう。
原因は宗教です。
でも、彼女は僕をハメるために泣いているというわけではなかったでしょう。
10代の女の子が、単純に僕を含めて二人で幸せになろうというような気持ちで、こんな場所に連れてきて、理解をして欲しくて、それで気持ちが通じなくて、それで泣いているというだけだったと思います。
「宗教って何なんだ?」
「どうして人をこうしてしまうんだ?」
「これが悲しみの原因になるのなら、元も子もないじゃないか」
そうして僕の長い旅は始まりました。
それはアンチと言えばアンチ、でも否定し、対立し、打ち勝つための旅ではありませんでした。
ただ、いろいろな常識や観念が崩れ、漠然とした謎解きに対する方向性だけが道標となりました。
変な人間不信が僕を襲う
「いま、眼の前を通り過ぎている人も、その内側はどうなっているのかはわからない」
そのような変な人間不信が僕を襲うようになりました。
すごくダイレクトに言ってしまうと、高校の同級生の男子が僕と普通に接していたとしても、もしかしたらその奥で僕に性的興奮を抱いているのかもしれない、というような強迫観念が襲いました。
優しくしてくれる大人の人を見て「恩を売り、その後に宗教勧誘してくるかもしれない」
そんな人間不信がやってきました。
何気なく仲良く手をつなぎながら歩いている同級生の女子を見るたびに、「絶対にできている」と思うようになりました。
そう思うと吐き気が止まりませんでした。
そして、実際に僕は十二指腸潰瘍になりました。
僕の気力は限界を超えました。
突発的に激しい動悸が襲い、めまいで立てなくなるようになりました。
いわゆるパニック障害の発症です。
「この現実は全ておかしい」
そして、僕のライフワークとして、「すべての謎を解き明かす」ということが設定されました。
「いっそ終わりにしてしまいたい」
そう思いつつも、死への恐怖を克服できるほどではありませんでした。そして同時に、そうなると、あの宗教というものに負けたような気になるのです。
だから、何が何でも「すべての謎を解き明かす」ということにしました。
当たり前のように過ごし、当たり前の楽しみを味わうことなど、既にどうでも良いことになりました。
なぜなら、どのような楽しみをしても、それはすぐに流れていき、そして、この根本問題に何の解決ももたらさないからです。
「仲間とワイワイ」というようなことも、その場しのぎのごまかしにしか思えませんでした。
それをして、一時的に忘れたとしても、この不信感、この虚無感、この怒り、この苦しさはなくならない、というようなことをずっと思っていました。
「世のすべての宗教やLGBTを全滅させれば解決できるのか?」
という問いの答えはノーです。
事の発端を潰しても、根本解決にはなりません。
自分が見たい世界、自分が存在したい世界はどんな世界なのか、答えろと言われても、その答えにも詰まるような毎日でした。
「生きるということはどういうことか?」
「どうすれば苦から脱することができるのか?」
一度、そんな疑問を持ってしまっては、もう後には戻れません。
楽しく過ごせればそれでいい、という意見が数多くありました。
でも、ずっと楽しいわけではない、いずれまた、苦しさがやってくることにも気付いていました。
自分の中では、楽しさが解決してくれる、そんな単純なものではない、という観念でいっぱいでした。
何をやっても飽きが来ます。そして、飽きが来ると渇望が生まれ、苦しみがやってきます。
そして、「嫌でも腹が減る、喉が渇く」といったことから、病の苦しみといったこと、そんなものが一時的に無くなったとしても、いずれまた来るという一種の恐怖心からは逃れることができないということにもとらわれるようになりました。
仲のいい友達との高校生活もいずれ終わる、好きな人とは離ればなれになる、可愛がっているインコともいずれお別れが来る、どこをとっても虚しく、自分はこれからどうしていけばいいのか検討もつきませんでした。
あの先生の一言
そんな時、あの先生の一言がひとつの道標となりました。
「君がその子を好きなんだったら、それだけでいいんじゃないのか?」
僕はそうありたかったのです。
そのままで、ただそれだけで生きていきたかったというのが本音です。
でも、どこかしらその正しさの証明をせずにはいられないという気持ちがありました。
そうして、僕は、全ての「異なる意見の矛盾の証明」をすべく、活字中毒になりました。
もう既にその彼女とは別れていました。
が、ただひとつの目的だけは残りました。
―
この苦しさからの解放は、世界征服をしても叶うものではありません。
言語の論理上仕方ないことですが、誰に意見を聞いても、すぐに完全性、絶対性の否定はできてしまうので、誰かの意見に救われるというようなことはありませんでした。
ただ、自分と同じような迷路にハマった人は、過去にもそして現代にもたくさんいました。
その人達を「仲間」だと思い「仲間がいることで安心」と思ったことはありませんが、少なからず足がかりはつかめるかもしれないという安堵はありました。
何なら過去の人物の書物に限って言うと、自分よりも高度な思考力を持ち、その高度な思考力のせいでさらなる迷宮に彷徨っている人たちもたくさんいました。
そんな感じで、社会的に良しとされることには一切興味がなくなり、社会とは疎遠になりました。ただ己の心をどうするかということにしか関心がない状態です。もういわば出家ですね。
「こうすれば楽しく生きられるぞ」
「そういうことじゃない」
という感じです。
若き日のシッダルタやサーリプッタ状態です。
アンチ宗教が再燃
そこでやはりアンチ宗教が再燃します。
「如来を拝めば、如来の力で煩悩が無くなり、心が平穏になる」
とすれば、
「じゃあ如来は誰に拝むんだ」
ということになります。
そこで
「如来には煩悩がない」
ということになれば、僕のようなタイプであれば
「では如来の力を借りるのではなく、如来になる」
ということになります。
ということで、拝んでいる人たちは頼りになりません。
そして「拝めば穏やかになる」ということは「拝まなければ穏やかではない」という構造をもっており、それはそもそもおかしいということに早急に気付いたのです。
ここで、何となくアンチ宗教は終演を迎えました。
そんな感じでアンチ宗教の裏には、おそらく何某かの期待があったのです。
しかし、それでは元の木阿弥。
やはり自分で見つけるしかない、そんなことを思い始めました。
どこかに言語で記された「そのままの答え」はない、ということが直感的にわかったのです。
それから約10年の間、一人の沙門のように、答えを探す日々を過ごすことになります。
ニーチェは「超人」という概念を持ち、また佛は「水が沸くと水でありながら水ではなくなる」ように、人でありながら「人ではなくなる」という意味を持つということがキーポイントになりました。
といっても、少年ジャンプにありがちな、人を超越し、「かめはめ波のようなものが打てるようになる」というようなものではないことも感覚的に分かっていました。
それから約五年で、大体の謎は思考上で解くことができるようになりました。
終着点というわけではありませんでしたが、明るく過ごしていました。
「もう謎は、謎のままでいいじゃないか」そんなことを思っていましたが、その後何度か心がシナシナになることがあり、やはり根本解決にはなっていないということは薄々感づいていました。
しかし、考えるだけ気力も使う、そして、明るいものが暗くなるということを感覚でわかっていました。
いわば、何となく騙し騙しで生きていたのです。
そしてやはりもう一度旅に出ることになりました。
そしてある深夜、と言っても3日くらい連続して、だいたい同じ服で同じ時間に同じものを買いに行き、同じものを食べた時、つまり3日目の深夜のことです。
なんだかんだで自己観察と言うかヴィパッサナー状態だったと思います。
「あっ」
その時、10年にわたる長い旅は、終りを迎えました。
夢から覚めたような、そんな感覚でした。
その時点ではすべての謎が解けたわけではありませんでしたが、「いずれ明かされる」というような、向こう岸に達したような感覚でした。
―
どうぞこれからもご愛読くださいませ。
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