空想的な理想は何を推測させるか

われわれに欠点がある場合われわれの熱狂は生まれる。 曙光 377 序

特に○○観戦というものに熱狂する場合、それは宗教の礼拝のような構造に近いものがあります。

単純に何かと同化して現実以外の所に意識が持って行かれているのですから宗教にハマった人とそうたいして変わりません。

さて、「空想的な理想は何を推測させるか」というニーチェお得意のアンチ宗教的なタイトルなので、そんな感じで書いていきます。

宗教団体における教義を筆頭に「感情を軸に真理だと勘違いする」ということがよく起こっています。すなわち、感情的な動きを根拠に何かしらの理屈を正しいと思いこんでしまうというようなことがよく起こっているという感じになります。

宗教団体

争い事を避けるために世の宗教について「どれが良いとか悪いとかはいいませんけれども」という前フリが多いですが、僕から言わせると、何かと同化して縋りタカるものは全てダメだと考えています。というよりそれが本当のところです。

社会において出会う人に対して、僕が少し本気で話すとすぐに「宗教団体を作りましょう」とかいうことを言い出す人がいます。

彼らは、根本的なものを勘違いしています。

崇拝の対象を作ったり、何かの社会的目的達成を目指したりする、そうしたものは所詮、主義や宗教の範囲であって、レベルの低いものです。

根本的に「何かに助けてもらおう」と言うもの自体が間違いですから、それは肝に銘じておきましょう。概ね宗教にハマる人はそうしたマインドを持っていますが、それこそが自分を苦しめる発想なのだということを肝に銘じておいてください。

あと、「このすっきりした気持ちが答えだ」とか、「荒んでいた自分の心が晴れて、毎日が充実していることが答えだ」とか、「瞑想で神を見た」とかそういったことを証明材料に使おうとする人がいますが、それは答えにはなりません。

なぜなら、その宗教以外の方法でも、それと同じ感情や錯覚を起こすことは可能だからです。

洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みた

感情を軸に「真理」だと勘違いする

特に女性などはこうした感情を軸に「真理」だと勘違いする人が多い傾向にあると思います。その理由は脳の構造上の問題で、共感力が強いということに起因しているという感じなので女性に多いという感想を持っています。ということで、別に差別をしているわけではありません。

胡散臭い宗教じみた占い師というものは、女性が多いはずです。その理由は、共感力が強いからです。いわば非言語の情報の影響を受けやすいという感じです。

そして同時に感情の振れ幅も強い。だから「親が死にかけているとき」なんかに隙ができやすく、「胡散臭い宗教じみた占い師の先輩」の影響なんかも受けやすいという感じです。

「先祖があなたを見守っている」

「瞑想で神を見た」

それが何なんですか?

実を言うと、僕は共感覚の影響からかいろいろなものが何となく見えます。でもそれは情報がそのように入ってきているだけで、特にそれがどうということはありません。

本来、真理というからには、誰にでも再現可能で、今すぐに確認できるもので、誰かの主義や考え方で変更できないようなものでなければなりません。しかし感情からある特定の主義に没頭してしまうということが起こっていたりするわけです。

真理とは何か?

「真理」と「真理とは呼べないもの」

世界が変わったのを認識するのもこの心

で、カルト宗教に多いのですが、何だかたくさんの人を救済するのがどうのこうのという人がいます。が、まず根本としてこの世界を認識している心は今ここにひとつしかありません。

世界が変わったというのを認識するのもこの心です。

そうなると、救済を名目に社会に意味の分からない働きかけをしている事自体が、穴を掘って埋めているだけの行為であると考えることもできます。

聖戦名目でテロなんかを行おうと考えたり、救済名目で人殺しをしたりというようなことを「行わなければ自分は満足できない」という心と向き合いなさい。

人を宗教団体に勧誘する、という行為で組織を大きくすることではなく、相手を思うならせめて心が軽くなるようなことだけを相手に行いなさい。

「この素晴らしい教義を広めるため」とか、「たくさんの人を救うため」という名目で、資産をふんだくったり、テロを起こすというのは、破壊的政治カルト的な軍事国家と考え方は変わりません。

人のことはさておいて、「相手が変わってくれないと自分は落ち着かない」ということ自体が煩悩であるということをまず悟りなさい。

僕はそんな宗教家の考えが変わっても変わらなくても、変わりません。

ただ個人的な趣味で語っているに過ぎませんからね。

「空」でありながら実在するかのように働く機能

キリスト教と感動

空想的な理想は何を推測させるか 曙光 377

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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