昔は現代のようには「明かり」がありませんでした。
「古典を読むと、闇夜、匂いで人を嗅ぎ分けていたというような記述もあります」というようなことを読んだことがあります。
何もかもが平均的を目指す世の中は「無臭」がよいとされています。
臭いのも嫌かもしれませんが、「量産化されるスタイル」に対しての奇抜さのように、匂いも大切にしてみてはいいのではないでしょうか。
ニオイを気にする人ほど、自分の臭さには気づいていません。そして異常に潔癖だったりします。
潔癖かつ腋臭or口臭という組み合わせはそこそこいるものです。
完全な無害、完全な滅菌状態、というものは研究施設くらいでやっとこさ、しかも、菌は菌でも有益菌もいれば、ほとんどの菌は無害です。
いろいろな菌がいることによって均衡が保たれている、守られているという状況はよくあります。
1種類だけが繁栄しきってしまったら困るという局面は菌の世界以外でもよくある話です。
女性の匂い
さて、女性特有の匂いがあります。僕はそれを嗅ぐことがブームだったことがあるので、嗅ぎ違うことはありません。
ニューハーフの方の見分け方は、オデコの骨格というのが代表的な例ですが、それを髪の毛で隠されたとしても、見分けるというか嗅ぎ分ける自信はあります。
いくら香水などでニオイをごまかしても、その隙間にあるその人のニオイでわかります。
今は去りましたが、「磯かぎブーム」ならぬ「女子かぎブーム」を経験していると、それくらいは容易い話です。
そして、自分に合う人合わない人の匂いも、文字通り「匂い」で嗅ぎ分けられるようになってしまいました。
さらにいうと相性が極端に悪い場合、匂いによるちょっとした不快感だけでなく、目がシパシパしてきます。
普段虐げられて隅っこに置かれている嗅覚というものは、案外無意識的に「なんとなくこの人嫌」ということを察知させてくれているのかもしれません。
土をかぐ
ある程度の都会にいると、土のニオイさえも本格的に嗅ごうとすれば、各家庭の前の「園芸」に急接近するか、少し離れた山の方まで行かねばなりません。
山は山で、山の匂いがするので、「土のニオイ」というには少し違うような気がします。
周りは寺だらけなので、寺のニオイばかりが鼻腔に入ってきます。
本格的な土のニオイが欲しいのに、栴檀や白檀の香りがしてしまいます。
「違う!」
ということで、ホームセンターに土を買いに行きました。
スコップでいじっていると、やはり
「違う!」
ということになり、素手で養子の兎糞をつかみとり、それを素手で土の中に混ぜ始めました。
しばらくは土いじりブームが続きそうです。
過去記事⇒磯をかぐ
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