病気

病気の意味は次の通りである。老齢、醜悪、厭世的な判断などの時ならぬ接近。これらのものは相互に関係しあっている。 曙光 409

病気は、その昔「よくない状態」というような意味だったということを聞いたことがあります。今のように科学的に捉えることができなかったということが元となりますが、単純によくない状態という感じです。

そして、一部例外を除いて大半の病気は原因がストレスだという事を聞いたことがあります。病気とは字面を見る限り「病」と「気」なのでまさに「病は気から」という感じになります。といっても、免疫の関係もありますから、感染症というものもなんだかんだでストレスが要因となっているフシは否めません。

で、ストレスと言っても、まあ所謂「緊張」です。何某かの負荷と言えば負荷ですが、その負荷による緊張状態という感じになります。それはその場で流すこともできますが、連続して起こっているとずっと緊張状態にあるという感じになります。

で、そうした状態が続くと体もおかしくなるのです。体がおかしくなるということはだいたい病気になります。

そしてそんな緊張の大半は、人と人の関連性からくる「想像」や「妄想」であり、人と人の関連性から派生する期限であったり、何某かの達成条件であったりといったところです。

で、基本的な「治療」的なものは、結果に対するアプローチです。反応があってそれが苦しいから反応を鎮めるとか、出来物ができたから切り取るとかそういう感じです。基本的に根本原因には働きかけていないのです。

そして例えば肌が荒れたとして、肌にばかり働きかけてもその場しのぎです。肌が荒れた原因となる内臓の方を癒やしていかないとキレイにはなっていきません。(お肌をキレイにしよう

そして内臓を活き活きとさせるためには、深い睡眠等々によって活力がみなぎっている必要があります。睡眠不足で腹が弱ると気持ちまで弱まってきますし、便秘が続くと体が重く感じてくるのが良い例です。

そういう感じで、最近ではアフィリエイターが健康食品、サプリメントを売ろうと頑張っていますが、そうしたものはおまけくらいに思っておくに越したことはありません。

体への信頼

何かの心配事が心配事でなくなり、日中の緊張も軽減され、睡眠が深くなることで、体は復活していきます。体は無条件に健康に向かおうとする意図を持っています。病気は苦しみですが、体自体は常に良い状態になろうとしているはずです(「病苦」病の苦しみ)。

自分の体への信頼がなさすぎです。

「信頼できないから、私が世話をしてやるんだ」

という不信のほうが緊張をもたらします。

そんな感じではなく、

「おお、すまなかった。少しは手伝わせてくれ」

と思って栄養を摂る方が圧倒的にいいでしょう。

そういうわけで

「早く治れ!」

というのも緊張です。

猫村さんのように歌を歌いながら明るくいる方が圧倒的に快復に向かいます。

「はぁ~♪」

という感じでいきましょう。

そういうわけで、病気になったらまず第一にすることは、一ミリでも気を楽にすることです。そして同時に体を楽にしていきましょう(体を軽くして1ミリずつ楽になろう)。

緊張が弛緩する時に着目する

緊張があってそれが弛緩する、その瞬間に人はリラックスします。体の緊張を弛緩させれば気持ちも楽になるということが説かれたりします。

歴代の哲学者などでも、結局ストレスなど体の緊張にしかすぎないというようなことを書いていたりします。緊張が弛緩している時は「安穏の状態」であり、イコールで幸せな状態にあるということです。

そんな弛緩状態に着目して、今の瞬間を捉えてみましょう。

緊張と弛緩から観る「今」のあり方

病気 曙光 409

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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