「頭のゴミ処理とゴミを宝に変えること」の続編的に現代の思考と頭のゴミ情報による反応的意志決定について触れていこうと思います。
多少なりと普通の人よりは人工知能や自然言語処理等々について触れる機会が多いということもありますが、最近意図的に数種のAIを徹底的に活用しています(というより徹底的に遊んでいます)。
そして現代における思考のあり方がよく見えてきました。
これは個々人の人格の問題ではなく、頭のゴミでパンクしています。
結果、自発的思考や長期的な思考がしにくく、反応的な意志決定のみで状況対応的に行動しているというような感じです。
端的には「考えにくい」状態になっているため、直近に得た情報に反応するがまま生きているような感じです。
暇があったら暇を潰せるアプリケーションに手が伸び、そうでなくても友人知人から常時接続で短文の連絡が来たりします。
自分で決める余裕がありません。
そして、自発的な大掛かりな思考については、「AI使ったら秒でできるのではないか?」という思考がよぎり、馬鹿らしく思って避けてしまいます。
実際は思考自体は不要なのですが、馬鹿らしく思って避けるというのはまた少し違います。
頭を冷やすようにスッキリさせるという感じで「頭を使わない」ということと、「頭を使うことができない」ということは似て非なるものです。
そういう環境、つまりAIやWebツール、SNSを提供している側が「瞑想」的な「マインドフルネス(笑)」を心がけていて、ユーザー側は、それらに雁字搦めになって反応的な意志決定しかできないようになっているというような感じです。
ある意味で、というより直接的に「マインドコントロール」と表現することもできます。ただ、提供元がすべて誘導しているというわけではありません。
部分的にはその要素があっても、もはや運営母体すらコントロール不可能な程度にまでその勢いは進んでいるような感じです。
個人レベルで重要になってくるのは「反応するしか無い状態からひとまず自分を取り戻すこと」です。
これでひとつ意志の向きが変わります。
ただ、たいていは禁断症状が出ます。
実際にアンデシュ・ハンセン氏風に言うと、「スマートフォンにドーパミン経路がハッキングされている」という感じなので、それらの空間を断ち切ると最初はドーパミンが出なくなり手を伸ばしたくて仕方なくなります。
何かの理由をつけて、再び手に取ろうとしてしまいます。
少し踏ん張ってゴミ情報を砕いていきましょう。
そうしたものは「彼女と別れた後」のようなもので、しばらくの間は目を閉じると「ふわっ」と何かの情報が浮かんできますが、それを「ゴミ」や「妄想」とラベリングするなどヴィパッサナーを心がけているとどんどんゴミは力を失っていきます。
こうしたものは2020年頃から加速していきました。というのもやたら「すぐに終わらせよう」と焦る人について触れていた「休業日に増幅する焦燥」の投稿日を見ると2020年の11月です。その頃くらいからそういう変な焦燥感を持つ人が増えてきたような印象があります。
自分を取り戻すという意味では、自発的意思に基づいて能動的に動くということが効きます。動くというよりアウトプットです。
個人的には本ブログで公開した内容については、基本的に頭に浮かんでこなくなります。もちろん覚えていますが、日常で気にすることがなくなるという感じです。
逆に寝る前などによく頭に浮かんでくることは、書かないと毎度頭に浮かんできたりします。なので投稿として昇華したりしているわけです。
消費的で受動的な状態に慣れ、反応的な行動に慣れ親しんでいると長文化してまとめることが難しくなったりします。ただ、何かしらの方法でそうした負のエントロピーを働かせる感じを心がけていくと良いのではないかと思います。