狂人たちの中にいると、狂っていないはずの自分がおかしな存在として扱われ、彼らと同じような狂人にならないと不快感が生じてしまうというような同調圧力がかかることがあります。
古くは中学生時代の体育会系的な圧力、その後も脳筋要素が強かった勤め人時代の職場もそんな感じでした。
最近では、介護関連でよく狂人に出くわしました。
狂人は狂人であることを認めません。
狂人から見れば僕の方こそ狂人に映ります。
相手から見て狂人である僕を何とかしようとしてきます。
では、平穏に生きるためには狂人と同じようにならなければならないのかというと、そんなことはありません。
狂人にならずにいることは簡単です。
何段階も上の空間に行けばいいだけです。
そうすることは難しく映りますが、理屈は簡単です。
囚われないということを常に意識するということです。
「何言ってんのこいつ?」と「慈悲」
目の前の人を尊重し、慈悲の心で接するというのは良いですが、相手が狂人の場合、何を言っているのかがよくわからず、しかも譲らないという姿勢を見せてくる場合があります。
基本的に人は先に無意識的印象が起こって、後に言語で論理を整理します。この過程でエラーが出る人がいます。
「何言ってんのこいつ?」
という感じのことをなぜか自信満々で言ってきたりするわけです。
で、自分の意見に固執します。
しかしよく見てみると、抽象度が低く、様々な原因がある可能性を考慮せずに、自分が一旦落ち着いた論理だけで完結しています。
表現は悪いですが、一言でいうと「知能が低い」ということになります。
はっきり言えば、「なんとか障害」になります。
ただ、世の中では、そうした障害を持つ人達を尊重しようという感じになっています。
それはそれでいいのですが、何かの行動の決定の際には、その近視眼的な意見や固執を肯定するわけにはいきません。
そこまでいかなくても、その手の人は少なくとも僕を一瞬だけ不快にします。
意味不明な強気
ある時ですが、要介護状態の母の尿道カテーテルが取れたのは良いものの、婦人科系の病気(炎症)になってしまい、婦人科に連れて行った時のことです。
付き添いの介護職の方に「やっぱりカテーテルが外れたからですかね?」というと、
「そんなことはありえないですよ。なるとしたら腎盂炎ですよ。何言ってるんですか?」
と言われました。
僕としては、尿がカテーテルを通り外に排出されるという構造が変化しておむつに移行したので、婦人科系の場所の衛生状態が変化したのではないかということを言いたかったのですが、ありえないという回答が来ました。
そうですか。
ありえないかな?
違うと思うけどね。
話しかけたことが間違いでした。
まあ医師でもなし、何とでも言ってください。
その後「印象」で話すその人は、弟と軽い口論になり、その口論の様子を見て母が興奮したため、出禁になりました。
議論に勝たなくてもいい
「囚われない」というもののひとつの形は、単純には「議論に勝たなくてもいい」ということです。勝っても仕方ありませんから。
勝って意味のある議論なら勝つと良いと思いますが、世の大半の議論は意味がありません。
こうした「議論」をふっかけると喧嘩になります。
そして相手が狂人の場合、こちらの理屈が通っていても相手は認めません。
では、議論が起こりそうになった場合どうすれば良いのでしょうか?
「目指すところ」を見る
それも単純です。
「目指すところ」を見るということです。
ちなみに我が家では夫婦喧嘩のようなものは一度もありません。
これはあれが悪い、これが悪い、どちらが悪い、どちらの責任だというようなことをしないからです。
我が家においても問題がまったくないわけではありません。
しかし、僕は常に朧気な「最高の家庭の状態」を視点の高さに設定しています。
目線が「相手の責任であるということを相手に認めさせて自分は責任の範囲から逃れる」というものになる場合、喧嘩になります。
そうしたものに囚われないようにするにはコツがあります。
それは「いつでも全責任を放棄する自由がある」ということに思いを馳せるということです。
「いつでも全責任を放棄する自由がある」
狂人たちの中にいて狂人にならずにいることを叶えるため、つまり同調したり、無理に責任を引き受けたり、逆に責任を押し付けたりするような空間から脱するためには、「囚われない」という状態になることが大切です。
以前は、変性意識状態という無意識レベルのコツについて触れたりもしましたが、今回は論理面で考えてみます。
「いつでも全責任を放棄する自由がある」
ということを思ってみて、どこかに論理矛盾があるでしょうか?
「いや、責任がある」という抵抗がある場合、それは本能や社会からの圧力です。
本来、責任などどこにもありません。
そして全責任を放棄する自由があります。
「そんな自由はない」というのが「囚われ」です。