残暑の音色

音楽テーマかなと思いつつも乱文的雑記にしようと思います。

最近盆が過ぎたからか、ラジオからフジファブリックがよく流れてきます。

若者のすべてと茜色の夕日。

若者のすべてに関しては、少し前までは「志村氏の声じゃないバージョン」だったので嫌気がさしていましたが、最近流れてくるのは志村氏の声。

それだけで少し嬉しくなります。

様々なものの原点回帰を感じます。

意味不明な偏りを経て、結局元通りに戻っていくような、そんな気がしています。

盆休みは、スーファザことスーパーファザコンの娘と冒険ばかりで全く休みになっていません。

で、昨日は一人で少し散歩に行ったのですが、暑さで(気温としてはまだマシなはずでしたが…)、帰ってきて昏睡していました。

様々な高圧は、それを乗り越えたのか今ではなんともないですが、ちらほらとカツアゲのようなことをされたりします。

まあ大したことはないですよ。

単に銀行に必要証明書が1枚だと聞いていたのが「すいません。2枚でした」などと言われて、一度取りに行ったのにもう一度行かされるという程度です。

証明書を取りに行くのも移動時間、向こうで待たされる時間、結構時間を消費しますからね。

しかも暑い、と。

で、よくあるのが自分のうっかりではなくて、誰かのうっかりなんです。

自分のうっかりだったら「仕方ないか」と思えるのですが、誰かのうっかりばっかりなんです。

子供の事ならまだしも、相手は大人だったりします。

そして、結局、動くのは僕なんです。

そう考えると、やはり暑さとスマートフォン環境とAIなんかで、人間の処理できる情報処理能力や注意力の限界を超えているのかな、と思ったりもします。

それに気をつけている側が、それにやられている側の「うっかり」で最後にやらされるんです。

つまり、実質的に責任を取っているのは僕。

というような嫌気がさすときがあります。

そう言えば数ヶ月前も、母の件で「ヘルパーの腰がやられのでうちの事業所は撤退します」といって、代わりがいなくなりかけたということがありました。

制度上は整っていても、実質的なスケジュールに穴できることがあるんです。

その時も、最終的に相手は撤退なので逃げたわけです。

で、もし穴ができたら「家族で面倒をみてください」などということになりかねません。

なぜですか?

そうならないようにケアマネジャーが先回りすればいいんです。

なぜできないのですか?

仕事ができていないじゃないですか。でも一端に給料はもらってるんです。

で、それで丸投げされると、こっちはその時間稼ぐことができなくなるんです。

「なぜ、仕事を完遂できていないあなた達が責任を放棄して所得を得て、私はあなたのケツを拭くようにその機会を奪われるのですか?」

ということです。

そういう頭の悪い人たちに人生の決定権を握られているようで嫌なんです。

結局は、スケジュールの穴は生じませんでした。

でも、その前になぜか「相談」してくるんです。

なぜ、相談してくるのですか?

あわよくば「何とかうちの家族で…」という言葉を待っているんです。

つまりは、自分たちの仕事のできなさを最後に押し付けてきているんです。実質的にね。

そんなことを許すわけがないんですよ。

それは実質的に頭の悪い人たち、仕事ができない人たちに、人生のコントロール権を握られていることになります。

ですから、基本的には放置でいいんです。

銀行はさすがに謝罪にやってきました。

結局、再度動くのは僕ですけどね。

他人のうっかりをそんなに責める気はないですが、やはり残念な気持ちにはなります。

最初の連絡の時、盆休みで、娘も夏休みなので、どうせなら社会見学を兼ねて自転車で行ってみようと法務局等々に行ったりしてみたわけなんです。

「ああ、あれ、意味無しですよ。もう一回行ってください」というようなことが起こったんですね。

それが何となく、たまらなく嫌でしたが、一応社会見学的な部分が消えたわけでもなし思い出が消えたわけでもないですからね。

うっかりというのはいいですが、あまりに優しくいると、相手の注意力を削いでしまうのであれば、多少の厳しさがいるのかなというふうなことも思ったりはします。

考えてみると昔から盆休み~盆明けは、お客が狂ったりすることがあったので、やはり夏の疲れが出る時期なのだとは思います。

Category:miscellaneous notes 雑記

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