一般的に、身体の変化に動揺し、自我が芽生え、それまで自分と世界の区別がつかなかったものが、分け隔てに気づき大人になる成長過程、というふうに言われます。
身体の変化に動揺し、と上品に言っていますが、男の場合は、○玉による支配が顕著になるだけです。
そんな思春期には、ホルモンの影響による精神の変化もありますが、知能の発達による「矛盾や理不尽の発見」といったものも起こります。それまで大人側がごまかせていたものが、ごまかせなくなるというようなことが起こる時期というふうに考えることもできます。
「反抗期」という言葉に含まれる大人の傲慢さ
思春期というものは、反抗期だと言われています。
ただ、「反抗期」という言葉には、どこか「俺たちは正しいが、子供たちが無駄に逆らってくる」というような傲慢さがあります。
本当に子供の意見は正しくないのでしょうか。
無駄に反抗しているのではなく、理屈が通っていないことに対して「理屈が通っていない」ということを見抜く力がついてきているという場合もあります。
反抗したいから反抗しているというわけではなく、意味がわからない押し付けに対して「意味がわからない」と気付く知能が発達してきたというだけかもしれません。
ということで、本当に子供の意見は正しくないのでしょうか?
白い靴下事件
僕が中学生の時です。一年生の時だったと思います。実際にあった話です。
黒い靴下が校則で禁止されている、ということで、黒い靴下を履いていった僕は職員室に呼ばれました。
「校則に書いてあるでしょう?」
「書いてあれば正しいんですか?」
「白い靴下と決まっているでしょう。なぜ黒い靴下を履いてくるのですか?」
「なぜ白い靴下と決まっているのですか?誰が決めたんですか?今すぐ呼んでください。その人から納得いく答えが聞ければ、そうしましょう」
「中学生は白い靴下を履くものです」
「そんなことは決まっていません。あなたたちが勝手に決めたのでしょう。誰かになにかの迷惑がかかるのでしょうか?白い靴下でないといけないと決めるから、あなたは僕に指導しなければならなくなるだけで、そんなことはやめておけばいいのです。それにサラリーマンの人は黒い靴下を履いています。世の中には白も黒も赤もあります。白い靴下がだれかの迷惑になるのなら、法律で禁止されるはずです。売ることすらできないようになるでしょう」
「それはいいから明日から白い靴下で来なさい!」
「俺はよくない!ええのはお前だけや!」
そんなやりとりが続き、4時頃呼び出されたにも関わらず、6時半頃になりました。僕は一向に折れませんでした。
「もういい。話の続きは明日にしましょう」
「あなたはよくても僕はよくない。呼び出したからには最後まで決着をつけよう」
「ひとまず帰りましょう」
「そんなに晩飯の用意が心配か!」
僕は呼び出した先生を帰しませんでした。
「息子が帰ってこないんですが、ご存じないでしょうか」
そんなところにうちの父が学校に電話をかけてきました。
「いま相談室で指導しています」
「こんなに遅くなるなら電話の一本でもしてこいバカタレ!まだ中一やぞ!」
息子が息子なら父も父です。
父はそんなに学校になにか要求するような人ではありませんでしたが、息子がひどいですね。
モンスターペアレントならぬ、モンスターステューデントです。
改バージョン⇒正しい「思春期」 改
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