朧気ながら見えつつあるもの

最近同じようなことを思っている人によく会います。

結局、相手が答えを持っているわけではないのですが、現在の自分の思考が客観的に見えます。

そうなると、もう八割程度終わったようなものです。

とにもかくにも今現在の体験を全力で感じることが大切です。

瞑想的に集中を高めすぎると日常生活を送ることが難しくなります。

なので、今現在の体験を全力で感じるということが日常との折り合いの中では最も適しています。

それこそがエントロピー増大への対抗になります。

今は、やや乱文的ですが、おそらくしばらくすると適切な計算結果が出ます。

それはそれでまた別に投稿します。

やはり義務的に感じることは、やめておいた方が無難です。

真面目に考えすぎることもやめた方が無難です。

まだ自分はどこかで何かを守ろうとしているのではないか、と思うことがあります。

それではロックではありません。

巨大な情報が攻めてきますが、そんな時ほど合気道の精神です。

結局一番気がかりだったのは、時代の流れと娘の幸せです。

これは長期スパンの進路選択や教育面にもかかわります(ちなみに世間一般の学問的教育には関心がありません)。

深い部分では「生きるとは何か」というところにつながります。

ただ、どう変化しようとも根源的な部分は変わりがないと思っています。

しかしながら実生活においては、最適な選択をすることに情報計算量が増えます。

なぜなら、解決が難しい矛盾的なものが発生しやすい社会環境にシフトするからです。

そんなことを各カテゴリーごとに思いっきり投稿していこうと思います。

Category:miscellaneous notes 雑記

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