思い出の上書き

娘とどこかに行くと、誰かとの思い出を上書きするような感覚になります。

それが一番の嬉しさかもしれません。

先日、滋賀県大津市の浜大津に行って、アーカスという施設に行ったり、遊覧船のミシガンという船に乗りました。

前にその船に乗ったのは、確か19歳か20歳くらいの時、当時の彼女とでした。

変な感じですが、今回娘とミシガンに乗ることによって、ミシガンと紐づいているものが、その子から娘に変わったりします。

別にそのことを意図したわけではありませんでしたが、滋賀県からの帰り道、そんなことを思ったりしました。

別に当時のミシガンの思い出が嫌な思い出だったというわけではないんです。

むしろ、良い思い出だったと思います。

これもちょっとどうかと思うような話ですが、僕はその当時、病中であるという点もありましたが、多少なりの「感情障害」であり、実際に彼女のことが好きなのかどうかはよくわからないまま付き合っていました。

たまに「付き合ってから好きになることもある」というようなことを言う人がいますが、「絶対にないだろう」と思っていたものの、「もしかしたらそういうこともあるのかもしれない」と思ったのが、当時のミシガンでした。

言い方は悪いですが、病中で半ば「好きでもないのにとりあえずすがっている程度」の感覚すらあった僕が、「こういう感覚が、起こることもあるんだな」と思ったのがミシガンに乗った時くらいの頃だったというような記憶があります。

いろいろな意味で愛別離苦的なものが一番きつい苦しみだと思っています。

ただ、まあ何とも言えないですが、途中や最後で嫌なことがあると、良い思い出も苦しみの材料になるということが一番苦しいという感じです。

本来、あれとこれとは別物なのですが、そうした良い思い出と悪い思い出が生むコントラストが、苦を際立たせるというかなんというか…

ただそれは、あくまで思考の産物であり、無意識的に苦の感覚を得ようとする何かしらの意図に基づいているというようなことを思っています。

で、どこかに行くと、その場所と関連性の強い人との思い出が蘇ります。

今年に入ってから、久しぶりに宝ヶ池に行きました。

この場所にはいろいろな思い出がありますが、一番最初の思い出は幼稚園の時に、オリエンテーションで父と全力でゴールまで走ったことです。

それもまた、上書きしようと思ったのか、僕はその場所で娘と全力疾走しました。

二人でつまづきそうになりながら。

ただ、それで父との思い出が上書きされたかと思うと、実際は、父と娘と三人で走っているような「絵」になりました。

誰かと一緒に全力で走る、ということは、結構心に焼き付く良い思い出なんだなぁとだけ思いました。

考えてみると、妻と二人で神戸に行った時に帰りの電車に乗り遅れまいと一緒に走ったことはよく覚えています。

やはり一緒に走ると、その時のことをよく覚えるのかなぁと思ったりしました。

結局実際は、完全に上書きということは起こらず、アップデートという感じになりました。

Category:miscellaneous notes 雑記

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