心理的恒常性維持機能と自責

この「うつ、うつ気味」テーマについては、およそ四ヶ月ぶりくらいになります。毎度のことですが、あまり安易に触れないでおこうという方針なので、更新はあまりありません。

今回は、直近に身近で思い当たるフシがあり、一度くらいははっきりと書いておこうということで、心理的な恒常性維持機能(ホメオスタシス)と自責について触れていきます。

ちなみに狭義の恒常性維持機能は、ある安定した状態を保とうとする本能的な生理機能のことです。気温が変動しても体温を平熱付近で安定させようとしたり、病気にかかりかけた時に病原体を退治したりする、体が本来持っている機能です。単純に健康体でいようと機能するということです。

最近では、ちらほらこの恒常性維持機能が心理学的に扱われ、自己啓発のような情報が出回っていますが、ほとんどの情報は的を得ていません(たまに良い説明がなされているケースもあります)。

その内容というものは、「ダメな自分を変えたいのに、変えられないのは恒常性維持機能が働いているからだ」、というものです。

なるほど理屈で言えばそのとおりですが、ダメな自分と判断したのは誰でしょうか。その判断基準を作ったのは誰でしょうか。そして、その勝手に決められた「ダメな自分」をデフォルト値に定めたのは何なのでしょうか、という点についてはあまり触れられません。

そして、解決策として「セルフイメージを高める」と言った類で、基準値を変更すればいいのだ、という解説がなされているのがほとんどでしょう。

なるほど理屈はわかりますが、それがどういう理屈で変更できるのかが結構曖昧です。無形の情報空間での話ですから、サンプルが出せないのはわかりますが、たいていは希望的観測の域を出ていません。

うまくいけばいいですが、うまくいかない場合はどうしたらいいのでしょうか。イメージした新デフォルト値との差の分だけ自責の念が起こります。またうまく基準値を変更できない点にも苛立ちを覚えるでしょう。

自分を守ろうとするような機能である恒常性維持機能が原因で、「自分はなんてダメなんだ」と自責のストレスを感じるというのは、まさに本末転倒です。

心理的な恒常性維持機能が働くというのは、もっともです。

誰しもが基本的には恒常性維持機能を持っているのは当たり前の話ですが、ではその勝手に出来上がった基準値は何なのかという点について触れていきましょう。

変えられないものと変えられるもの

すべての現象は、前に起こったことなどが原因となって、この瞬間に生成され、また消滅して次の原因になっています。

その次の原因というのは状態と運動などですが、一種の情報であり、また一種の意志でもあります。すべての現象が常にある意志を持った遺伝子のようなもので、周りのものを形づけています。

いきなり話が飛んでいるような気がしますが、これはかなり重要です。

「すべての現象自体が次の現象の遺伝子のような性質を持っている」

というようなところでしょうか。

そこで、世の中には連続して瞬間的に生滅を繰り返しているものの、性質を変更できないタイプのものがあります。

物理的に不可能だったり、性質上不可能なものです。

そしてそのタイプのもの以外は、一応たいてい何でも変えられるのですが、事が大きいと変え難いということになります。

その変え難いものが恒常性維持機能の基準となっているものです。

結局は変更できるのですが、自己啓発をかじった人が提唱するほど浅い因果関係ではないということです。

ただすぐにうまくいく場合があります。

それは根深いところでは既に呪縛のようなものが取り払われているという環境の整備があった場合です。

一元化して全てイメージングだけで何とかなる、ということではありません。

両親や友人などからの呪縛

おそらくこのサイトにいらっしゃる方は、冷静にご覧になってくださるということを期待しつつ、非難を承知で(といっても人によって感情が優勢になって理性的に読解できないかもしれないという意味です)書いていこうと思います。

心理的な恒常性維持機能とは、慣れ親しんだ生活スタイルから脱することに抵抗が生まれて、変化が起こりかけた時に元の慣れ親しんだ生活に戻ろうとする働きです。

この慣れ親しんだ生活スタイルというのは、所謂習慣というものだけでなく、全ての考え方やこだわりや好みなども含んでいます。さらにいうと無意識的な動作まで入ります。

そこで、この慣れ親しんだ生活スタイルというものは、誰が作ったのかという問題になります。

ゼロ歳でオギャーと生まれた時から、字のごとく「ものごごろがつくまで」は、自分で生活を選べません。両親がいない人でも誰か保護者の監督のもと育っているはずです。

そして、その後入ってくるリアルな情報は、主に保護者と友達です。

この二つの要因によって、慣れ親しんだ生活スタイルというものが出来上がりますが、彼らは「生活スタイルを植え付けてやろう」としているわけではありません(そういう場合は反発心が生まれて結局たいてい反面教師になります)。両親の都合が優先されて、という場合もありますが、その両親もそのまた両親から、友人は友人の両親などからその考えなどを植え付けられています。ですから悪者は不在です。

ここからが、少し物議を醸し出す可能性のある内容になりますが、親が自営業と勤め人の場合の差、そして職業や、自らの最終学歴によって、ある程度生活スタイルが固定化されます。これはどれが素晴らしいとか言う問題ではありません。実際に、フィールドが変われば、自分の周りの人も変わります。職場の人が全員競馬をしていれば、競馬に手を染める可能性はグンと上がります。ただそれだけの話です。

そこから抜け出すのは容易ではありません。職場を変えるか、友達を変えるかなどでないと変わることはありません。そこで徐々に少しだけ変わるパターンとしては、結婚して子供ができたり、勤め先で出世したりした時です。それはフィールドが変わるという意味で、変化があることなので変わらざるを得ませんが、それほど大きな変化ではないでしょう。

大きな変化があるときは、大きなストレスが掛かるということです。平社員から主任に出世くらいなら許容値ですが、何千人規模の会社でいきなり平社員から取締役営業部長になれと言われれば、ためらいます。

何か営業成績で平社員の10倍などを達成したというような出来事があれば別ですが、他の社員とほとんど同じくらいの成績、ほとんど同じくらいの仕事ぶり、特に何も変わったことがなかったのに急に言われると、困ってしまうものです。

恒常性維持機能とは、そのような感じです。

そこで、実際に経験したことですが、両親が自営業だという友人の大半は、成人式などでネクタイの結び方がわからないという事がありました。友人の結婚式で再会した時には友人4人のネクタイを僕が結ぶということをしたことがあります。

以前、お父さんが芸術家の友人と三条通りでばったり会った時のことです。彼はスーツ姿でしたが、靴下がくるぶしソックスだったりと、やはり少し普通ではありません。特に何が問題ということではないのですが、面接などであれば眉をひそめる面接官もいるかもしれません。

勤め人の頃、内定式などで後輩社員と触れる機会があった時なども、同じようなことが結構ありました。

就職活動ひとつとっても、親が勤め人で毎日スーツを着るという家庭と、商店街の自営業ではサンプルモデルに大きな差が出るということを知りました。

スーツの着こなしすら差がでてしまうのに、そもそも人事部というモノが何なのかもわからない自営業の家庭に育った人などは、スタートの時点でやはり差がでてしまいます。しかしそれはまだ埋められる差であり、別に面接に行くだけが生き方ではありません(実際に僕は誰にも雇われていません)。ただ少なからず生き方選定で方向性に差が出ることは確かでしょう。

おかあさんが働いていた人と専業主婦の家庭の差などでも、その子供の婚活パーティーの時の振る舞いや相手に対する求め方も違うでしょう。

恒常性維持機能のデフォルト値を作ったのは自分ではない

そのような具合で、生き方というものは両親や周りの人に大きく影響されています。

体育会系が当たり前の環境ならばそれが当たり前だと思うでしょう。それは親が新興宗教にハマっていたりしても同じです。

そこで出来上がった「自分」というデフォルト値は、自分が勝手に決めたといえば決めたのですが、意識の深いところではそういった情報が根深く残っています。

その呪縛から抜けることは容易ではありません。

一時的に凄くストレスのかかることです。

「このストレスは恒常性維持機能だから気にするな」

と気づいていても、感情の高ぶり方は半端ではありません。

マリッジブルーと言われるものもそのようなものです。ニートが就職したり、バイトが正社員になる時も恒常性維持機能は大きく働きます。

その時には激しい自責の念がやって来ます。

理性的に考えれば合理的で大したことがないことでも、なぜか断ったりやめてしまったりする、その時に「自分はなんてダメなんだ」と思ってしまうようなことです。

恒常性維持機能を突破するには、ただの「出来る自分」をイメージするだけでなく、根本を探ってみましょう。

その時に自分を責めてはいけません。責めそうになった時は、客観視することです。

「この『恒常性維持機能のデフォルト値』を作ったのは自分ではない」

これは居直りではなく事実です。ただ、自分ではないからといって両親などを責めてはいけません。

たじたじへの対処法

幾つか有効なやり方があります。

「無意識の奥底まで観察しなさい」

というのは、ハードルが高いかもしれないので、簡単なものを幾つかご紹介しましょう。

失敗ではなく「効いている」

一つは、結構簡単です。笑ってしまうほど簡単ですが、実用的です。

例えば、フリーターの人が、正社員になることをためらっている場合などです。

ひとまず就職情報などを読んだり、合同説明会などに参加してみてください。

この時におそらく最初は、合同説明会の申込書すら匙を投げてしまうでしょう。

ストレスの分だけ、恒常性維持機能は外れかけていきます。

一回諦めたからといっても、その時点で居直ったり、自分を責めてはいけません。

「効いてるぞ」

という感じで、また時間を置いて繰り返してください。

何年かかっても構いません。

一回ごとに無意識レベルではストレスのレベルに耐性ができていきます。さらに毎度毎度、それに関する情報が増えていっています。少ない情報では判断を誤る確率が高いですが、どんどん専門家のようになっていきます。

そのうち

「求人系の会社にいこうかな」

とすら思えてくるくらいになるかもしれません。

一回目でうまくいかないのは、それまでの生活習慣の影響です。

その生活習慣にどんどん風穴が通っていきます。

ストレスがかかっても、絶対に自分を責めてはいけません。うまくいかなくても失敗ではありません。

これは気休めや「レッツポジティブシンキング!」ではありません。

試しにやってみてください。

進んでは下がり、進んでは下がりを繰り返しているうちに、知らぬ間に生活環境は変わっているでしょう。

コツは自分も相手も第三者も誰も責めない、という点です。

両親の気持ちを深く理解する

これは両親に限ったことではないのですが、自分に影響を与えた人たちも、その人達の責任でそのようになったわけではありません。

ある意味では本人の責任であることでも、そのような考え方になってしまったのは、同じように生活習慣が小さい時に植え付けられてしまったからです。

そういうわけで、彼らも彼らなりに被害者といえば被害者です。

いわば、正しいかどうかを判断する思考回路すらも、誰かに設定されてしまったまま生きています。そこから変化が起こる可能性は、環境にもよるものの大抵は変わりません。

そんなことで、体育会系であろうとウェーイであろうと、借金体質であろうと、その考え方自体は受け入れられませんが、そのタイプの人自体が悪いわけではありません。ある意味では被害者ですから。

では、加害者は誰なのでしょうか?

それはアイツです。物理的固有の誰かではありません。

そういう意味で、アイツに振り回されながらも生きているという意味で慈しむべきです。

それは両親などだけではなく、自分自身もです。だからこそ自分を責めてはいけません。

そこでですが、両親など、相手の気持ちを追体験できたなら、その人から得た呪縛というものは解き放たれる可能性が大いにあります。

記憶は変えられませんが、解釈は変えられます。

ただ肯定的に無理やり解釈変えるというものでは危険です。

その場合は視点を変えて、また、イメージとしては一段高いところから見るという事をした方がいいでしょう。

両親もそのまた両親の子であり、完璧ではないただの人間としての、その時代、その環境、その時点での精一杯の行動をしたかもしれないという点です。時に本人も意図しないところで感情の暴走があったかもしれません。しかし、その原因は、彼らも自分では知り得ないような深いところでのトラウマなどが原因なのかもしれません。

さて、その様子を思い返してクリアするには、両親の両親になったような気分で、自分に影響を与えている出来事を再度映画を見るように思い返すことです。時に両親に、時に傍観者に、時に両親の両親に、そして時にその当時の自分も思い出すといいでしょう。

そんなことを考えると、どんな記憶であっても、見方によれば憐れむべきような出来事だったのかもしれないということがわかります。

その時点で、自分をいつもの自分に引き止めている恒常性維持機能が少し外れます。

何のための脱却か

恒常性維持機能が語られる時、たいていは、セルフイメージを上げれば、「すごい自分になれる」という謳い文句ばかりです。

それは、「すごい自分」にならないといけないというような脅迫です。

残念ですがすごい自分になどならなくても構いません。

ただ、苦しい原因が恒常性維持機能によるものならば、それは取り外すべきものです。

「やりたいができない」

という状態を解消するには、「やりたい」を無くすか、「できる」になるかしかありません。

一般に語られる、恒常性維持機能についての応用は、何かすごい自分にならなければならないというような脅迫を含んでおり、「やりたい」のではなく、「そうでないと負け組だ」というような、社会的な洗脳があります。

ただ、だからといって、やりたいことを我慢しているのは苦しい状態です。

「実はやりたくないんだ」

ということを自分に言い聞かせようとするのも苦しみです。

そういうわけで、まずはやりたいことをやってみてください。

それを引き止めているものは、慣れ親しんだ生活を守ろうとする恒常性維持機能です。そこは間違いありません。

どうして、変化することに抵抗が生まれストレスを感じるのか、という点についてですが、アイツ的に都合が悪いからです。

どういう意味でアイツ的に都合が悪いかというと、一つは、現状でも一応生存自体は可能なので、下手に変化すると危険性が増えるという、生存本能的恐怖心があります。

そして、もうひとつは、ある意味での死を意味するからです。

環境が一気に変化するということはそれまでの人生とは別のものになります。ある意味で生まれ変わるということです。

生まれ変わるということは、一度死ぬということです。

死というものは、アイツが最も恐れることです。

何度やっても失敗かのように見えても、奥底では確実に原因が変化していきます。

最初に

「そうだ、あれをやろう。こうなろう」

と方向性を意図するだけで、全てが動き出します。

後は原因となる意図を阻害している要因を何度も何度も叩いていくことです。

そう考えると、どんな失敗でも、

「おお、効いてるぞ」

と思えてくるはずです。

繰り返しになりますが、これは気休めではありません。

あとは、縁たる条件が揃った時、結果が生じてくるでしょう。

それも思いがけない形で、かもしれません。

それに慣れてきたら、意識の奥底で眠っている様々な阻害要因が破壊されていくことでしょう。

それにつれて、目の前の見え方も段違いに変わっていきます。

まずは、自分を責めること無く、やってみたいことをちょっとずつストレスを感じながらやってみることです。

もしくは、一度自分を逃げられない環境においてもいいでしょう。といってもブラック企業に勤めたりはしないでください。万が一勤めてしまってもすぐに辞められますから大丈夫です。相手のわがままは聞く必要がありません。あくまで自己完結です。間違ってもブラック企業に対して「チャンスをくれた存在」などと思ってはいけません。

その時に出てくるストレスは、ただの嫌がらせのストレスではありません。その大きさに比例して、阻害要因が破壊されていっているという意味で

「おお、効いてる効いてる」

というようなことになります。

本来、自分を守ろうとするような機能である恒常性維持機能が原因で、「自分はなんてダメなんだ」と自責のストレスを感じるというのは、一体何をしているのかわかりません。

ひとまず自分を責めないようにするためには、誰かと比較することをしないという点です。それは自分がレベルアップしても、傲慢にならないという意味も含んでいます。

そして、恒常性維持機能を突破する段階で、たくさんの失敗のようなことがあっても、確実に突破はできるということで、気長に気楽に突破しましょう、というような感じです。

それだけで、環境的な苦しさも心理的な苦しさも激減します。

Category:うつ、もしくはうつ気味の方へ

「心理的恒常性維持機能と自責」への2件のフィードバック

  1. 文章がとても上手で、大変分かりやすかったです。
    考え事で暗中模索を繰り返しておりましたが、ぼんやりと活路を見出すことができました。ありがとうございました。

    1. コメントどうもありがとうございます。
      何かしらお役に立てたようで何よりです。

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