われわれが他の人間の名誉を世間の目の前で大切にするのと同じように、独言を言うときにも大切にするのでないならば、われわれは行儀の悪い人間である。 曙光 569
孤独な人々と独り言、ということで、稀に誰に話すわけでもなく一人でブツブツ言っている人について書いていきましょう。
僕は昔から変な人が好きです。およそ誰からも相手にされていないような、世間で言う変人の人には積極的に声をかけていました。ということでおそらく僕も変人なのです。
仲間内で前日のスポーツ報道や今朝のニュースの話をしているような、いわゆる「普通の人っぽい人」には全く話しかけたりしないのですが、学校や会社で言えば休憩時間に誰とも話さず独りで過ごし、ついでに独り言をブツブツ言っているような人には積極的に話しかけたりしていました。
その理由は相手が孤独でかわいそうとかそういう理由ではありません。
独りでいる人こそ、普通っぽくない分すごく特殊な能力などを持っていたりして、接するこちら側としても新しい発見があることが多いからです。
人との共通の話題を探すことのない分独創的な視野を持っていたり、独自の世界観を形成していたりします。
そうした奇矯な人こそ、自称芸術家の自費グループ展をしているような人たちよりも遥かに頭の中が芸術的だったりします。
ということで、今まで過ごしてきた学校生活や、勤め人生活の中でも積極的にそのタイプの人に声をかけていました。
孤独な方の独り言
勤め人時代のことですが、ある人は、ある時トイレで一緒になったとき、
「あれ、おかしいな、おしっこがでーへん。たくさんお水飲んだはずやのに」
ということをずっとつぶやいていました。
で、普段誰もその人と話したりしないようで、いわばその人は変人扱いされていました。
しかし、僕はそんな彼を見て爆笑してしまいました。
そして話しかけてみると、普通の人どころか「かなりいい人」なのです。
仕事帰りに三条大橋近くの王将で餃子を二人前食べてから帰るということが、彼のルーティンだということも聞かせていただきました。
その後、毎日お互いに元気良く挨拶を交わすようにもなりました。
ホームレスの方との思い出
そうしたことをしていると、特にエンターテイメントなどを求める必要はありません。
日常のすべてがエンターテイメントになるのです。
そういえば最近では激減しましたが、京都にもたくさんのホームレスの方がいました。
今京都を観光している人たちには信じがたいことかもしれませんが、鴨川の各橋の下にはそれぞれホームレスの方々が在住されていたのです。
中学一年生の頃、友人と釣竿を持って鴨川を北上していたところ、結構北の方の橋の下のホームレスの方に呼び止められたことがあります。
「おい、ちょっと待て!」
と。
普通は逃げ出すようなシーンかもしれませんが、僕は昔からその手の人と接するのは何とも思いません。
立ち止まって、
「どうしたん?」
と聞きました。
すると、
「これ、やろ」と、紫外線でボロボロになった「針のついていないルアー」をくれました。
世間の印象では「物乞い」にあたる人から施しを受けました。
やはり日常のすべてがエンターテイメントです。
孤独な人々に 曙光 569
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