(2007年05月11日01:06)
大坂方面に行く機會があつたので更なる刺戟を求めて天體望遠鏡を買つてみた。
流星群を觀に行くには雙眼鏡の方がいい。
でもやつぱり昔から欲しくてたまらなかつたので心の聲に從つて店先に足を運んだ次第である。
集光力云々、有效最高倍率云々。
あまりに訊ねる僕に店員はほとほと困つてゐたに違ひない。
そんな陰りは寸分も見せず、丁寧に說明してくれた。
星座や星の名前などはそんなに知らない。
でも何故か流星群の名前とシーズンは覺えてゐる變な僕。
昔、當たり年に觀たしし座流星群が忘れられないのかもしれない。
朝になつても奔星は空を流れていつた。
幻想的な非日常に驚いた。
ちやうど去年の今頃、プラネタリウムを觀にいつた。
四十分が五分に感じられた。
意識はどこかに吸ひ込まれていつた。
これで事足りるではないかと思つた。
慥かまだ中學生だつた頃、キヤンプに出かけて、ある高原で大の字に寢て、滿天の空を同級生や後輩達と眺めた。
ずつと眺めた。
言葉を交はすことも無く、時間も忘れてひたすら眺めた。
僕は、僕達は宇宙と一つになつた氣がした。
そんなことが頭にあつてかなかなか買はなかつたのだらう。
マクロからミクロへ。
社會に對する、自分以外の人間に對する少しの意識の變貌が象徵化したのかもしれない。
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その後よく家の前で月を観たり、京北町(現 京都市右京区京北)に行って星を観たりしました。
公開日:2017.11.16
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