変性意識と情報処理能力の限界

変性意識というのは、現実世界への臨場感よりも別の仮想空間への臨場感が強い状態なので、厳密に言うと常に変性意識状態です。ただ、ここでは深い変性意識状態、いわゆるトランス状態について触れていこうと思います。

そして、そうしたものと近年の情報処理能力の限界を超えた人たちについても触れていきます。

一応補足資料としては新規謎コーナー「AIとの対話」に置いてあります。

AIが人間に与える意識変容(変性意識)

本当の脱変性意識状態は、阿羅漢しかたどり着けません。ただ、そうなると日常生活が成り立ちません。

で、変性意識は、普通といえば普通で、常に変性意識状態です。例えば「私は日本人です」というのは、日本人という概念の空間に入り込んでいるので本質的な「現実」ではありません。概念空間が影響しているわけです。

で、強い変性意識ですが、これはいわば没入している状態です。これは諸刃の刃です。

カルトにハマっている人は常に強い変性意識状態にあります。普通は寝て覚めると一旦リセットされたりもしますが、何かの動作や何かのものを見るということが、アンカーとトリガーの構造になっていて、すぐにまた変性意識状態に入ります。

ただ、これは「仕事モード」でも同様の構造になっています。

スーツを着て出勤することが、仕事モードの空間への没入になるので、その空間内でものすごい力を出せるということにつながることもあるわけです。

強い変性意識、トランス状態というものは、使いようによってはものすごくプラスに働きます。

今の空間、今の状態に縛られている状況から、別の空間にワープするかのようにシフトすることもできるようになります。

理由は簡単です。

深いトランス状態を生成して、ある体感領域等々に臨場感を強く感じるとします。

すると、物理レベル、日常レベルでもその方向に向かうように自動計算が始まり、現実が動きます。

すごく簡単で俗っぽい例えをすると、モテないと思い込んでいるDTが、深い催眠状態になって「オラオラZ&ナンバーワンホスト」の状態になったとします。普段の素のその人からすれば嘘のような状態であり、ある意味嘘なのですが、とにかくその状態になったとします。

そして、実際に街に繰り出すと、何かの結果を出します。

普段できないことをできてしまうのですから。

ただ、実際は嘘と言えば嘘でありながらも、完全な嘘であるのならばそうした風になることはできません。

その要素があり、それを許容する面もあるからこそそのようになれるだけです。

普段はそれが抑制されています。違う部分に臨場感が強い状態となっています。それを調整するだけです。

まあ難しく考えなくても、「デートに行って酒を飲んで映画を見る」ということはまさにこうしたことをやっているわけです。

それでどの空間に臨場感が強いかという部分について現代は環境が乱れています。そして情報が多すぎます。

どの方向にセットするかというところが秒単位、分単位で乱されているという感じです。

元々分裂しやすい構造を持った意識が、さらに振り回される状況が整っています。端的にはスマートフォンです。

これはちょっとしたことです。

関連コンテンツや「広告」の表示、それも画像つきの場合、意識が乱れまくります。

そこで最近では、我慢ができない人、文章に弱い人が多くなったように思います。長文への耐性や読解力、そしてそれをまとめたりする力、思考を言語化すること等々ですね。

特に高齢の方が顕著です。

おそらく情報処理能力の限界を超えています。

「いや大したことはないよ」と思っているのは表層上の意識だけで、流れてくる画像を見るだけで情報のインプットはどんどん膨らんでいきます。なので、知らぬ間に頭の中がパンパンになっているわけです。

でも意識的には何となくボーっとする程度の感想しかありません。

ならばスマホをやめればいいじゃないかとも思いますが、ドーパミン経路をハッキングされているので、やめることができません。つまり依存症です。

ただ、洗脳されている人に「あなたは洗脳されていますよ」というと怒られるだけです。

カルト信者に「あなたのいるところはカルトだからやめなさいよ」と言っても、「黙れサタン!」と思われるのと同じです。

強い変性意識というのは、自らのために安全に没入するのであればよいのですが、人に操作されて生成されるとロクなことはありません(他人が意識的にしているかどうかはわかりません。経験則的にしている場合もありますし、自然にそうした構造になっている場合もあります)。

「ブラック企業を辞められない」「鬼嫁から逃げられない」と言う場合もこの変性意識が関わっています。

一旦、意識的に解く必要があります。

でも経験則的にか、意識的に解かせないために余白を与えないんですね。

基本的には生命維持のために適応するというような癖があります。

なので、ある空間のおかしい常識も、ある程度さらされるとおかしいと思わなくなります。

端から見るとおかしさ抜群でも、その空間の内側の人達からすれば普通だったりもするわけです。

おそらく、とにかく日常的な作業をすべてやめて、5分間呼吸を観察するということをしようと思っても、なかなかできないと思います。

あれがやりたい、これをしておきたい、という思考の渦がやってきます。

まあそれが煩悩の正体です。

それを観察して流すということが、一番の解毒になるでしょう。

Category:miscellaneous notes 雑記

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