吠えたける悪魔との戦い

今に始まったことではありませんが、なぜか僕には吠えたける悪魔が常に挑んできます。

その吠えたける悪魔との戦いを何十年も繰り返しています。

おそらく元々は、父の中にある「劣等コンプレックス」や「愛着障害や承認欲求」のようなものです。そこに「社会的洗脳」というものが絡み、エネルギーの逃げ道を塞いでいます。

そのイメージが直接間接を問わず僕に挑んできます。

ちなみに聖書中の「サタン」とは、「道を塞ぐもの」「邪魔をするもの」というような意味があります。外界に固有的存在として存在するのではなく、僕を邪魔するのであれば僕に挑んでくるものがサタンであり悪魔であるわけです。仏教的には悟りを妨害するものとして、煩悩の象徴である「マーラ」と考えても良いと思います。

ひとまず父を中心としてやってくる悪しき情報であり、ここではその「心的複合体」を悪魔と呼ぶことにして、そんな悪魔との戦いについて触れていこうと思います。「吠えたける」という特徴があるので「吠えたける悪魔」と呼ぶことにしましょう。

「吠えたける悪魔」の特徴

今現在でもこの「吠えたける悪魔」は僕に挑んできます。

今までは、漏れるように現れることはあっても、「吠えたける悪魔」は比較的大人しい感じでした。

母がその防御壁となっていたからです。そして幼少期から僕と母、二人で力を合わせれば鎮めることはできたという感じです。

父には良いところもたくさんあります。

しかし「吠えたける悪魔」が取り憑いています。

ということで、父自身を恨んでいるということではありません。

あくまで戦いは、その中にある悪しき情報である「吠えたける悪魔」との戦いです。

この悪魔の特徴は、吠えることで愛を獲得しようとするゴネが基本です。

そして、母(つまり父から見た妻)からの関心を分散させるものに対して敵意を剥き出しにします。

もし敵意を剥き出しにできない場合は、母に対して吠えます。

そしてこの「吠えたける悪魔」は、父本人が静まると、その周りが叫びだすという特徴があります。

父が吠えるのが面倒なので相手にすると、相手にした人に「吠えたける悪魔」が感染するというようなイメージです。それは徐々に消えていきますが、その間心身ともにダメージが来ます。

脅してでも「愛が欲しい」、それを邪魔するものは我が子でも敵と見る悪魔

「愛が欲しい」というものが根本にあるため、僕の母からの関心を最重要視します。元々は、父の実の母、つまり僕のおばあちゃんからの愛の不足や愛の歪みであると考えられますが、それが叶わないため、それを僕の母に求めるという感じになっています。

僕は祖父母との関わりが強かったので、敵視されることはありませんでした。しかし、幼少期から母にべったりだった弟は完全に敵視されていました。

幼き日はそれが理不尽な暴力に及んだこともあります。

その暴力は、弟が成長してきた際に暴力で返されることになります。

今までに数回警察沙汰になっています。

台所が父の鼻血で溢れかえったこともあります。

僕は、それを客観視していたため、構造の歪さを小学生から理解していました。

父としての子を思う気持ちや理性と「吠えたける悪魔」が戦っていることも知っていました。

しかしながらこの悪魔は強力です。

ほどんどの場合、父の理性は悪魔には勝てませんでした。

直接敵視できない場合は、母に吠える悪魔

弟の場合は「戦い」になることがありますが、直接敵視できない場合は、母に吠えるということをよくしていました。

わかりやすいものでいえば、僕の娘に対してでしょうか。

もちろん孫である僕の娘に対して、母は大いなる関心を寄せます。

その状況になるのは必然ですが、母の関心が孫に向くということは、「吠えたける悪魔」には許せません。

しかし、父から見て孫にあたる乳幼児に嫉妬したり敵視するとなると、父本人にも抵抗が生まれます。

では、「吠えたける悪魔」は理性で抑制されるのかと言うとそうではありません。

別の理由をつけて、叫ぶように文句を言うなどして、母の関心を得ようとします。

今までに何度も、我が家にやってきては、母に対して「愛を求める攻撃」が始まったので「喧嘩をするなら帰りなさい」と言ったことがあります。

防御壁が崩れ「吠えたける悪魔」が本領を発揮した日

母が倒れた日、「吠えたける悪魔」が本領を発揮しました。

母が緊急搬送された病院に僕が行く前に、父は弟と揉めていました。

父は救急車に一緒に乗って先に病院にいました。

そんな中弟が、「病院にいるんやったらお母さんの状況を看護師さんか誰かから聞いて教えてくれ」と弟が言うと、「そんなことは聞けるわけ無いやら。何を言ってんねん」という意味不明の内容が返ってきたそうです。

弟は「なんで聞けへんねん。意味がわからん」ということを言うと、「大学出ててそんなこともわからんのか!」という意味不明なやりとりが続いたそうです。

そんなことがあって父が狂っていると弟から連絡があった後、

父から

「弟が到着しだい、決闘し、決着をつけるから立ち会え」

という意味不明とも取れる電話がかかってきました。

「何言ってんの?お母さんが生死の境にいる時に、何を考えてんの?」

という返答となりました。

するとまた電話で揉めたらしく

「殺害予告をされたので、警察に通報しようと思う」

という連絡が父から来ました。

その後、僕が病院について、医師からの説明が始まった時です。

「こうなる運命やったんや。次はワシの番や」

医師という第三者が目の前にいるから何を言ってもいいと思ったのか、

「おーい。マザコン。もう甘える相手もおらんようになるぞ」

「ある日突然妻が倒れてパニックになる」というのは特段珍しい話ではないと思います。

ただ、その時の狂い方が異常です。

説明が終わり、家族が待機する部屋に通された時に、僕が

「落ち着けと言っても無理があるかもしれないが、どのような状態で帰って来るかはわからないとしても、ひとまず生きて帰ってきた時のことだけを考えよう」

と言うと

「そやからこいつ(弟)と決着をつけとかなあかんのや!」

と発狂しました。

弟は完全に狂人を見る目になっていました。

そして

「狂人は相手にするな。お母さんが帰ってきた時のことに意識を集中しろ」

というと、ただ頷きました。

悪に対して力で挑んでも相手の思うつぼ

こうしたものに対して力で挑んだ場合、ただ軋轢が生まれるだけで何の実りもありません。暴力が生まれた場合、まさに悪魔の思うつぼです。

何かの行動を促して、時に実りがあるかのように実際に何かをやったとしてもその場しのぎで根本解決にはなりません。

かといって、堕落をそのままにしておいて良いのかというと、それはそれで問題が起こります。本人は面倒からは逃げて、その分誰かが何かを押し付けられるだけになりますから。

そしてそれで浮いた分を浪費に使ったりします。

憤怒や怠惰や貪り、まさに悪魔らしい感じがします。

しかし、悪に対して力で対峙しても、相手は屈服しません。

屈服したかのように見えて、その周りに「叫び」を押し付けていきます。

周りの者が叫ぶようになる

「吠えたける悪魔」を表面的に鎮めたとしても、その「叫び」は周りの者に移るだけとなります。

母が叫び、弟が叫び、時に妻や娘が叫ぶことになります。

そうなると根本解決は、「父という存在がいなくなること」に見えますが、それはそれで「吠えたける悪魔」の思うつぼです。

少なからずあった「父の理性や愛や奮闘がもたらしたすべての価値」を「台無しにする」というのが悪魔の目的です。

父は父で、「吠えたける悪魔」と戦ってきました。

しかし、彼はそれに勝てなかったというだけです。

祖父母の愛情の歪みと貪り

僕は中学生までの間に父方の祖父母と過ごした時間が長く、いわば親の要素があります。なので、影響は強く感謝している面もたくさんあります。

しかし、すべてを美化すると本質が見えません。

孫としての立ち位置からではなく、客観的に俯瞰すると全体構造が見えてきます。

祖父母から見た孫としての都合や目線、また、父の息子としての都合や目線を外して客観視すると「吠えたける悪魔」の像が見えてきます。

祖父母の根幹にあるのは、

「面倒がかかるとなると捨てる。捨てるとまではいかなくても逃げる」

という点、

そして、「父の兄への歪んだ愛と、父への愛の不足」です。

根本には長男優先という儒教的な発想の影響もありますが、それは半分言い訳のようなものだと思っています。

事実関係はわかりませんが、父が十代の頃、牛乳配達をして買った父のもの(何かは忘れました)をおじさんが勝手に質屋に売って、そのひどさを祖父母に訴えたところ、おじさんの方をかばったということがあるそうです。

一言で言えば、「差別」であると表現することができます。

さらに、「貪り」です。

浪費、消費欲、それを満たすために家族を犠牲にするというような面があります。

かつて僕の両親が結婚した際、親戚から預かった祝いの現金を懐に入れようとしてバレたというような事件もあったようです。

これらは、娘の誕生に合わせて接する機会が多くなっていた「倒れる前の母」から、今まで知らなかった事実を聞くことによって見えてきました。

これらには、「第二次世界大戦」が大きく関わっていると思っています。飢餓への恐怖、軍隊の体育会系的思想それらが関わっていると考えています。

僕だって捨てられている

以前「閉ざされた傷の蓋」で触れていましたが、極端に言うとある意味僕も祖父母に捨てられています。

中学二年生の時に「生まれたてのいとこの面倒を見る」という理由のもと、それまで同居していた祖父母が家を出ていきました。

この件について、「いとこが原因だろう」という点は変わりありませんし、父と祖父母の仲も問題だったということは昔から聞いていました。

しかし、母が倒れる少し前に聞いたのですが、実は「面倒が増えてきた時に、捨てるように逃げる」というのが本当のところだったのではないかと思えるエピソードを聞くことになりました。

それは、僕がかなり幼い時の話らしいのですが、実は1年程度、祖父母が家を出ていっていた時期があるということです。そうしたことは、それまで知りませんでした。

それはおそらく、母が弟を妊娠中くらいの時です。その少し後、僕がイヤイヤ期(2歳頃の第一次反抗期)に入るという予測も立つような時期です。

つまり、ある意味「面倒がかかる時期」です。

その時期に、「離婚前の前の奥さんの頃のおじさん」の家に引っ越していた時期があったそうです。

ただ、その前の奥さんはかなり強烈な人だったようで、泣きながら「家に帰ってええか」と連絡が来て、僕と僕の両親とまた同居を始めたというようなことがあったそうです。

僕はそうした事があった時期を「僕が生まれるよりかなり前」の出来事であると勘違いしていましたが、実際は僕が1歳か2歳くらいの時のようでした。

かつておじさん家族と同居していたということは知っていましたが、それは僕が生まれるより前の出来事だと思っていました。

しかし実際は、一旦僕と僕の両親と同居しつつ、僕が1歳台の頃に捨てるように逃げていったということのようです。

祖父母への信頼がぐらつかないようにと、僕の両親はその時期を意図的に曖昧にしていたようでした。

祖父母との同居期間

祖父母との同居期間等を時系列でまとめると

  • 両親の結婚から僕の誕生、僕が~1歳台の頃 同居
  • 僕が1歳台~2歳台途中 1年間 別居(おじさん・前妻と同居)
  • 2歳台の途中~中学二年生の秋 同居
  • 中学二年生の秋~ 別居(祖父母のみ 僕の家から自転車で行ける距離に引っ越し。その少し前、おじさん・後妻のいとこが誕生、僕の家に毎日預けられる)
  • 高校二年生くらいの時~(おじさん・後妻と同居 自転車で行くには厳しい距離に引っ越し)

こう見ると、中学二年生の第二次反抗期全盛期の頃に「逃げた」と考えることができます。第一次反抗期のときも逃げていますから。

つまり、「面倒からは逃げて、おいしいところだけ受け取る」という感じなのでしょう。

僕としては祖父母との関係は良好でした。

しかしそれは面倒な時期に接していなかったからです。

ある意味での「孫騙し」とも捉えることができます。

恨むことはありませんが、そうした本質を持っているという事実を見逃さないようにしなければならないと考えます。

父の愛着の歪み

こうして見てみると、父の部分的な人格や愛着の歪みは、祖父母からの被害であると考えることができます。

「面倒がかかるとなると捨てる。捨てるとまではいかなくても逃げる」

というものが根本にあるため、父の幼少期には大きな傷をたくさんつけられたのではないかと考えることができます。

父は両親(つまり僕の祖父母)からの無条件の愛を欲していましたが、それが叶わず、関心を得ることに意識が向くようになりました。

そして頑張りましたが、承認されません。

そこで僕の母にそれを投影しましたが、力が足りません。

やってもやっても認められません。

あの手この手を尽くしました。

幼少期に唯一通じたことのある「ゴネ」を最大の武器にしました。

また、一方で結局祖父母のモノマネをしています。

面倒があった場合、自分は逃げます。

そういう面も含めて、父と弟はよく喧嘩になっています。

もし殴り合いということが必要であるとしても、本来は、父は祖父母を殴らなければならないはずです。

しかし、殴ることで無条件の愛を獲得するということはたくさんの矛盾が含まれます。

父に対する祖父母の姿勢は、極端に言えば、おじさんの誕生日は盛大に祝い、父の誕生日を無視して逃げ、言ってきたら渋々対応するというような姿勢です。

父本人に「今日、誕生日なんだけど…」と言わせるようなロクでもなさがあります。

そうしたものに大いに傷つけられたはずですが、父の弟に対する姿勢は、祖父母のそれと変わりありません。

母からの関心欲しさ、承認欲求からモノマネしています。

ただ、こうした歪んだ姿勢はどちらかというと祖母から発生していると考えられます。

父が高校を卒業する際に祖母が「早く働いて家に金を入れろといったところ」を、「やりたいことをやらせてあげなさい」と、美術学校に行かせてくれたのは祖父だったというエピソードもあります。

ただ、基本的な原因は祖母にあったとしても、夫婦の関係性等を意識してか祖母の意見に従ったりしたことも多々あるはずです。

もし、「吠えたける悪魔」が父方の祖母側の家系から生まれたものであったとするのならば、祖父も戦っていたのかもしれません。

しかし、いくらそうしたエピソードがあったからといっても免罪となるわけではありません。同罪とまではいいませんが、やはり不足があります。

「吠えたける悪魔」は、根本解決に向かうような矛先を間違えるように仕向けてきます。

そして、祖父母から父へ、父から僕や弟へと「吠えたける悪魔の意志」を継承させようとします。

「吠えたける悪魔」はあの手この手で、家族を断絶させようとします。

僕達の世代で根絶する必要があります。

「吠えたける悪魔」を根絶する

「吠えたける悪魔」を根絶するには、怒りが生じた時、他責思考が起こった時、「これは吠えたける悪魔によるものである」と観察して、視点を高めていくことが基本となります。

「理解できるような気持ち」や正論、常識、そして嘘やごまかし、何でも利用して家族を断絶させようとしてきます。

「父として家族の生活を支えた」という面が家族に承認されないと、父の行動はすべてを否定されたということになり、絶望をもたらします。そうしたものは理解することができます。

しかし、承認されていないと感じるからと言って、「認めろ!」と叫ぶことは、表面的な取り繕いだけを生み出します。

絶望、逃避、無気力、無関心、憤怒、罵詈雑言、そして暴力、まさに悪の象徴です。

また中途半端な理屈をつかって根本には働きかけないように仕向けてきます。

例えば、動機を作るために「こうやれば承認されるぞ、というもので釣れ」というような誘惑です。

この「吠えたける悪魔」には智慧と慈悲によって対峙しなければなりません。

さあかかってこい「吠えたける悪魔」よ

サタンと表現しようが、マーラと表現しようがなんでもいいのですが、ひとまずこの家族というものを断絶させようとする悪魔、「吠えたける悪魔」は時折僕を試してきます。

父を恨むこともなく、母を恨むこともなく、祖父母や弟を恨むこともなく、妻や娘を恨むこともなく、親族のすべてを恨むことはないという面について、記憶や思考を用いて試してきます。

父に直接吠えさせることはもちろん、それ以外にも父や祖父母がもたらした記憶を使って試してきます。

間接的なもので軽いもので言えば、例えば義母の差別的扱いです。

実を言うと僕は義母に溺愛されています。

義母は、娘(つまり僕の妻)より、孫(つまり僕の娘)よりも僕を優先します。

僕の誕生日となると、1、2ヶ月前には先走ってある程度の金額のプレゼントを持ってきてくれますが、娘(僕の妻)には「なし」、もしくは数ヶ月後に「僕のプレゼントと比較して1/4程度の金額のもの」を渋々渡します。

金額の問題ではないのですが、僕としては気まずさがあります。

また、僕は12月生まれなので、誕生日が過ぎてしばらくするとお年玉のシーズンになります。娘のお年玉は「なし」のような時もありますが、僕が数ヶ月後に正月の話題をすると、思い出したかのようにその場で現金を渡してきたりします。

つまり言わないとスルーするというような程度の関心の無さです。

妻の件にしろ、娘の件にしろ、僕自身は優遇されているのでいいじゃないか、結局もらえているからいいじゃないか、ということにはなりません。

そうしたことをされるとどうしても瞬間的に怒りが生じてきます。

別に現金やプレゼントが欲しいというようなものではありません。

しかしゴネるように「関心を向けてあげてください」といって本心でもないのに関心を向けているようなフリを強制するというのも少し違うような気がします。

ひとまず

「これは吠えたける悪魔によるものである。怒りが起こってもそれにとらわれず、誰も恨まず、敵意を避けよ」

ということに意識を向けます。

「おかげで妻を大切にする動機が増えましたねぇ」

「おかげで娘を大切にする気持ちが二倍増しになりましたねぇ」

と河童の三平のたぬきのように、にっこり口をとがらせることになります。

「まあ僕達はなりたくてなった家族ですからね」と妻や娘を抱っこします。

これが「吠えたける悪魔」による挑戦に勝つということです。

「吠えたける悪魔」との決戦

また、父が獲得しようとしていた「母の関心のようなもの」に近いものを僕が妻に思うように仕向けてきたり、リソース不足から経済的破綻の恐怖を味合わせようとしてくることもあります。

例えば、母の介護が始まる前にしろ後にしろ、定期的に父に吠えさせ、弟と父を喧嘩させ、それに対応するために僕の時間的余裕を奪い、仕事の進捗やチャンスを奪ったり、家庭内の余裕を奪おうとしたりしてきました。

今年、二回ほど警察沙汰になったりで僕が緊急出動することもありました。帰ってくると僕が戦闘モードというか、戦闘地域にいた時モードになっているということもありましたし、不測の電話連絡が多かったので、娘の精神が不安定になったりしました。すると今度は妻が疲弊します。

さあ父を恨め、それを抑えられない弟を恨め、倒れた母を恨め、不安定になり叫ぶ娘を恨め、娘を抑えきれない妻を恨め、と「吠えたける悪魔」が挑んでくるわけです。

「恨んであげないよ、ジャン♪」

で終わりです。

もちろん瞬間的に頭に血が上ります。生体として反応するわけです。

様々な記憶を呼び起こし、未来への恐怖を絵として見せてくることもあります。

例えば、家族に振り回され、物事の展開がうまく行かず、結果「祖父母が家を出ていって、それからしばらくして事業破綻し、父としての威厳もなくなり自信を喪失したかつての父のようになるのではないか」というような絵です。

「これは吠えたける悪魔によるものである」

と明らかに観察して時空の彼方に消滅させるという感じになります。

イエス風に言うと、

「退けサタン!」

という感じです。

直接父から「吠えたける悪魔」を祓うにしても、まずそのような状態でい続ける必要があります。何にしてもまず内側からです。

本調子になってきたことですし、まあそろそろ本格的な働きかけをしようかなと思います。

Category:miscellaneous notes 雑記

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