いまなお「ドラえもんを観ると目が少年になる」という現象が起こります。
最近はTV版のドラえもん(もちろん旧声優陣の頃のドラえもんです)を観たり、「ドラえもん のび太の恐竜」などなど、劇場版のドラえもんを観たりしています
先日は手塚治虫記念館に行きましたが、やはり僕の中では藤子・F・不二雄氏が最も好きな漫画家であり、いつまでもその感覚は残っていて、それは30年以上塗り替えられていません。
(その後「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」にも行きました)
少年期の僕にとって「幸せな生活とは何か?」と言うとドラえもんがある生活であり、ドラえもんと共に成長し、ドラえもんがあったからこそ生きてこれたというような感がしています。
手塚治虫氏は全てを天才的に展開するというモーツアルトのようですが、モチーフにこだわりそれを無限に展開していくという感じで、藤子・F・不二雄氏はベートーヴェンのようです。
共に大好きな漫画家ですが、ドラえもんへの思い入れに匹敵するものは何もなく、これからも出会うことはないでしょう。
「幸せな生活とはなにか?」という定義として、いまなお
「夕食時に弟と一緒にドラえもんを観ようと思い、オープニングが流れた瞬間におじいちゃんが掃除機をかけだして轟音が鳴り響き、『聞こえへん!』と弟がおじいちゃんに怒り出すというシーン」を基準にしています。
ドラえもんと「友達」
ドラえもんというと高校時代に次のようなことがありました。
高校に入ってできた友達が「ドラえもんの映画を観たことがない」と言い出しました。
僕たちの世代の感覚から言えば考えられませんでした。
すかさず
「人生半分以上損してるで」
と言ってみました。
「そうかなぁ…」
などというので、
「今日帰りにビデオを借りに行ってこいよ」
などと言ってみました。
「いっぱいあると思うけど、どれがいいの?」
と聞くので
「どれでも当たりや。迷うくらいなら第一作の『のび太の恐竜』から観てみたら?」
「そんなにいいの?」
「泣くで。泣かんかったら友達ちゃうで」
…
翌日。
「観た?」
「観た」
「泣いた?」
「泣いた」
そうして僕たちは親友になりました。
さようなら、ドラえもん
またドラえもんというと次のようなエピソードがありました。
中学二年生の終わり、弟を連れて「ドラえもん のび太の南海大冒険」を観に行ったときのことです。
この時同時上映作品として「帰ってきたドラえもん」が上映されました。
この作品はドラえもん7巻の「帰ってきたドラえもん」がタイトルになっていますが、メインはもちろんドラえもん6巻の「さようなら、ドラえもん」です。
映画が始まってすぐに
「やばい…」
という謎の緊張が流れました。
幼少期から100回以上「さようなら、ドラえもん」を読んでいる僕たちは、数十分後に自分たちがどうなってしまうのかを予測してしまったという感じです。
物語が進んでいくに連れて、緊張感が進み、限界領域に達しました。
どちらから声をかけるでもなく、「ちょっとごめん」などと言いながら、お互いにスーッと席を離れていきました。
―
映画が終わった後、目をパンパンに腫らせながら鼻水ズルズルの状態でお互いを探しました。
思春期の兄弟たるもの「男泣きを見せるべからず」という感じでしたが誤魔化しようがありません。
「行こう」
と言葉少なく映画館を後にしました。
―
今でもドラえもんが心を温かくしてくれます。
ドラえもんの歌は、時代が進んでも同じ匂いがします。
そのことを非常に嬉しく思います。
ロボットとしてのドラえもんを設計しようとするとなるとかなりの難易度になるということを思ったりしました。その最重要ポイントは、共感にあると思っています。仮にドラえもんを設計しようと思うと共感力をどう扱うかというところが問題になります。
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