マイ聖地巡り

カオス空間から本格的に秩序ある空間に移動するため、先日少しだけマイ聖地巡りをしてみました。

京都に育ち、京都にいるのだから、いつでもありふれているといえばありふれていますが、ターニングポイント的象徴となる場所がいろいろと密集しているエリアを少しぐるぐるしてみました。

そのすぐ近くくらいまでは2年位前に行きましたが、その場所自体には前に行ったのはいつだったかを思い出せないくらい前にしか行っていませんでした。

十代の病中の頃に通っていた精神科、前職の元職場、妻が妻になるかなり前に、共同で企画したコンパの集合場所、解散した駅の改札、妻が僕の同僚に口説かれていた姿を見た店の近く等々、そういうのが密集しています。

感慨深いものは、無かったですね。

そう言うと元も子もないですが、ただ、頭は極端に整理されました。

「不器用だったなぁ」

という感じです。

一言でいうと、僕が人生で最初に「専門家を信頼しなくなった場所」です。

でもそれは、極端な例で「それ以外の選択肢を見るということが当時はできなかった」というだけです。

あの時から僕は、その「信頼できない感」を自己能力を高めること、自己解決能力を高めることで埋めようとしました。

大学時代にはそれが顕著で、「いずれ創業した時のために」と、税理士を信頼できない前提で税務を学び、社労士を信頼できない前提で社会保険労務を学び、弁護士を信頼できない前提で民法や商法などを学習したりしていました。

「何をそんなに効率の悪いことを」

と、普通の人は思うと思います。

「得意なことで稼いで、専門分野はそうした人たちに依頼すればいいじゃないか」

というのが普通の感覚だと思います。

でも、なぜかそれができない、という感じでした。

その根底にあったものは、十代の終わり頃の精神科医の能力の低さと姿勢に対する不信感でした。

そして、そのような状況の中、「別の医師のところに行くという選択がなかったこと」それが不器用さの原因のひとつでした。

両親等々からもそうした提案はなく、僕は病中で頭が真っ白、何ともできなかったという致し方なさはあります。まあ両親からそうした案が出なかったのは、両親自体の不器用さもあると思います。また、病院への付き添いがあったとしても、それは当時の彼女で、母などが同席したことはほとんどないというところが影響しているのかもしれません。

まあもし別の精神科に行ったら行ったで、またハズレの場合もありますし、何とかなったのか、何ともならなかったのかは、わかりません。

ただひとつ言えることは、この精神科医は、僕の病を治すことには全く役立っていなかったという事実です。

まあその時の思いが、このブログを続ける意図の半分以上を占めているという感じになります。

「テスト内容の意図しているところを説明され済み」のテストを何回もやらせたり、当時、父の事業破綻の影響で家庭が経済的困窮状態にあった中、少しでもストレス要因を取り除くために「アルバイトを辞めろ」と言ってきたり…

毎週5000円程度の医療費、つまり月額20000円の病院代について、当時母に、「正直しんどい」と言われたり…

そんな中、そうした背景を確認することなく、「アルバイトを辞めろ」とか、意味があるのかどうか疑わしいテストで診療報酬を釣り上げたりとか…

「薬を飲んでもボーっとするだけで環境は改善しない」というところを見ていないと言うか…

日中に飲むと、働くこともままならず、何か改善のために思考をすることもできなくなるということが、逆にストレス要因になるというか…

ただ、症状を患っている時は、他の手段をあまり考えられなかったりします。

でもそんな時こそ、他を当たってみてください。

当時、内科の先生の方が親身に診てくれました。

接骨院の先生は、「せめて体だけでも楽になるといいね」と励ましてくれました。

マイ聖地巡りをしていた時、そんなことを思い出し、当時の僕自身もすべての専門家を疑ってかかっていたわけではなかった、ということにも気づきました。

「当の精神科医はダメだったけど、受付の人は優しかったな」

そんなことも思い出したりしました。

不器用だった当時の僕を振り返った「今の僕」が言えることは、

症状が長期化している場合、他を当たるということをしてみて欲しいということです。

そして治療家としての精神科医の限界を見切って、環境なり思考パターンなりの改善を自分なりに見つけて欲しいということです。

少しでも、楽になってください。

Category:うつ、もしくはうつ気味の方へ

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