人生とは本当に暇つぶしなのでしょうか。
「暇つぶし」などというと、すごく消極的に捉えられそうなので、ほかの言葉を使いたいところです。
たまに「人生なんて暇つぶしさ」と、ニヒリストを気取る人がいますが、ただ、ストレスから逃げているだけで、その言い訳として「意味はない」を乱用しているような気がします。
生きることは苦であると、お釈迦様は悟られましたが、そう思ってかかるとたまの楽がとても貴重に感じるというプレシャス・プレイではないでしょうか?
僕は違うと思います。相対的なもので測るとそうなりますが、それはあくまで比較です。大事なのは、ふぐの毒を取り除くようなことです。
同じ現象でも感情というものの反応は異なります。
昔はムキになって怒っていたことでも、いまでは怒りの感情すら感じません。怒りの感情を感じたとしてもそれにとらわれはしません。
瞬間瞬間でその場に置いていくことができます。
「喜び」も、それを失いたくない、もう一度味わいたい、という執着が生まれるので「苦」とされます。
そうなると、「たまの楽がとても貴重に感じる」というのも、結局執着を生み出してしまうことになります。
結局、ポイントはそういうところではない、ということでしょう。
「苦でもなく、楽でもなく、非苦非楽でもない」ということを肝に銘じなければなりません。
プレシャス・プレイとアイツ
プレシャス・プレイというのは、「アイツ」の大好物です。
そして、それはよくスポーツやギャンブルなど「勝ち負け」がある世界でよく起こる現象です。
まず、なかなかうまくいかない「苦」が生じます。
そしてたまに「楽」が訪れます。つまり点が入った時や、当たりが出た時です。
この時、脳内に快感物質が大量に放出されます。今までの不快感との相対差で、すごく気持ちよくなります。
この刺激の構図に慣れすぎて、スポーツをやっていた人は、よくやめてからギャンブルに走る傾向にあります。
これは薬物と同じことです。
普段は苦しくそれを得ると快楽が走るという格好になっています。
あれほどひどくはないのでしょうが、構造はかなり似ています。
ストレス発散に、とギャンブルなどをやり始めれば、ジャンキーになってしまいます。
スポーツで汗を流すのはいいですが、今一度、「アイツ」の奴隷になっていないか確認が必要でしょう。
改バージョン⇒プレシャス・プレイ 改
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