アフォリズム 61-70
- 61.桜に対する態度
- 62.歩みを進めてこそ見えるもの
- 63.思考停止
- 64.外から浴びる情報
- 65.遺伝と後天性
- 66.己の言葉を躱す者
- 67.権限と責任
- 68.プロセスを踏んだだけ
- 69.いやよやめては
- 70.狂いの到達点
61.桜に対する態度
桜が咲き誇ればそれを見に行くだけで良い。
桜の時期になると、至るところで桜は咲き誇る。よって「あの桜が」とか、「この場所で」ということも特に思わない。
咲いていないとしても、特に「早く咲きやがれ」とも「散りやがった」とも思わない。
一切のものへの態度もそのようなものであれば、執著なき安らぎが訪れる。
62.歩みを進めてこそ見えるもの
見えてから歩む、見えたなら進む、というのでは永久に見えない場合がほとんどである。
63.思考停止
思考停止にはいくつかの種類がある。
ほとんどの場合は消極的な意味合いでこの言葉が使われるが、苦でも楽でも非苦非楽でもない種類のものがある。
少なくとも苦を伴うものを選んではならない。
64.外から浴びる情報
マスコミというものやそれに影響を受けた人々がいなかったら、世の中はもっと安らぎやすい世の中だったことだろう。
文明開化よりも前の時代に多少なりと穏やかな雰囲気を感じるのは、おそらくそのような部分も要因となっている。
65.遺伝と後天性
統計を元に「遺伝によってある程度決まる」というようなことを言う者は、無数の遺伝子にスイッチのような働きがあることを知っているのかね?
66.己の言葉を躱す者
己の言葉を無視できる者が、他者の言葉を無視できないわけがないだろう?
67.権限と責任
それに関する権限がないゆえに責任がない。だからこそいくらでも思い浮かんだ言葉を述べることができる。というような議論や会話が世には溢れている。
68.プロセスを踏んだだけ
様々な達成は、単にプロセスを踏んだだけであり、それは単に受け取ったものである。ゆえに特に自らが生み出したものではない。
それを成し遂げたいという意図の発生すら、「我により生じたもの」とは言えない。
69.いやよやめては
自らの価値の確認のため、さらなる好条件を得るため、抵抗があるフリをするのは、いつの時代でもどのような局面でも起こりうる。
70.狂いの到達点
理に則った普遍性や再現性を当たり障りなく用いて、当たり障りなく過ごしていても、周りの変化に自惚れを感じ、徐々にカルト的に狂っていく者がたくさんいる。
当初はまともそうな雰囲気を出していて、本当に無害な人物であっても、そのうち自らを神の化身か、神の代理人のような位置づけの選ばれたものであると自惚れ、感化された周りの者と相互作用を及ぼしながら狂気をエスカレートさせていく。
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