アフォリズム 271-280
- 271.体の疲れと睡眠
- 272.今の状況の判断
- 273.認識不可能な理由
- 274.エネルギー生成のための不快
- 275.教養と感情
- 276.必要なものの訪れ
- 277.レベルと喧嘩
- 278.不自然な人付き合い
- 279.記号と仮説
- 280.極度の緊張
271.体の疲れと睡眠
睡眠に難がある場合、徹底的に体を疲れさせるというのが最も改善に効果的である。
最初は動く気力がなくても、歩みを進めるとそのうちまだまだ歩けるような気になる。そうして、精神の疲れを上回る程に体を疲れさせるべく歩き続けると、その後汗が引いた頃には快適に眠ることができる。
眠るためにと即効性のあるものを求め、結局眠れず終いになるよりもはるかに心身に良い。
272.今の状況の判断
本来、今の状況というのは、自分が望んだ幸福の状態である。
それをそうとは思えないのは、概ね「何かしらの判断を下そうと考えてしまうから」という格好になっている。
273.認識不可能な理由
どのような状況でも、「この状況はこの心にとってプラスになる」と思うべきである。
ただ、今の自分、もしかすると今に限らないが― 「自分には認識不能で理解不能な理由が潜んでいるだけ」ということを思いに加えるとそれは容易に受け入れられる。
そうすると、ひとまずは肩の力が抜ける。
274.エネルギー生成のための不快
どうも逆方向へのエネルギーを生成することを目的とした不快感というものがあるような気がしてならない。
一種の不快は、「逆方向」という向く方向を示し、かつ、そこに向かうエネルギーを生み出す。
不快ではあるが、歓迎しようではないか。
275.教養と感情
本来、歳を重ねるとひとまずは、感情の強さが弱まる。
感動も少ないが、不快感は減る。
あらゆることに対して、淡白に、冷静になり、追い求めることがなくなる。
しかしながらそれらは、年齢にもある程度比例するものの、本来は、教養に比例するものである。
遠くから眺めているだけでいいというような感覚になっていく。
276.必要なものの訪れ
本当に必要なものは、説明がつかないような、理解不能な物事の連続によって否が応でもやってくる。
277.レベルと喧嘩
同じようなレベルにいる者同士は喧嘩になるが、レベルがかけ離れていれば喧嘩にはならない。
278.不自然な人付き合い
不自然な人付き合いをすると、一方が気力を奪い、一方が気を奪われるような関係になる。
279.記号と仮説
数学的哲学と言っても、単に記号を用いているだけである。記号を使うと示しにくいことを示しやすかったり、厳密さは生まれるが、仮説は仮説であり、さらにその哲学的直感が優れているということを保証はしない。
280.極度の緊張
極度の緊張が起こっている時、緊張はしているものの「我が為す」という感覚が消える時がある。
だからといって「いざという時は聖霊が…」という言葉から聖霊と結び付けて、その他の妄想を肯定してはならない。
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