アフォリズム 161-170
- 161.問題という錯覚
- 162.意識に上ることがない「していないこと」
- 163.歩み寄るものの底意
- 164.見せかけの好青年
- 165.幸せそうな人を模範に
- 166.レバレッジの説明
- 167.自然発生したものかのような装い
- 168.必要な対応
- 169.自分への驚き
- 170.力みへの気づき
161.問題という錯覚
何か他の事に心底集中していると、それまで問題であると思っていたことが知らぬ間に終わっていて、問題が問題として機能しなくなっていることがある。
162.意識に上ることがない「していないこと」
これ以上は無いような極悪人を思い浮かべると、そうした悪行動をしていないことについて、相手を評価することができる。
163.歩み寄るものの底意
「ご挨拶」と言いながら、その実、直接的に仕事をもらおうとしているというような場合はよくある。
そうした場合のうち、ご挨拶と言いながら、こちらが返事をしたにもかかわらず、仕事上のうまい話がすぐにやってこないと見切ると、返事に対する返事をしないという場合がある。
別にこちらから近づいたわけではないのに、歩み寄られて返事をして、返事を無視されるということが起こると、相手の不誠実、そして単に「仕事をよこせ」という底意があったということが露見する。
だからこそ、信頼されず、懇意にしてくれる顧客がいないということにもなるだろう。
そしてまた「数撃ちゃ当たるの不誠実」を繰り返す、という流れになっている。
164.見せかけの好青年
上下関係を駆使して後輩の尊厳を奪いながら、外向きには組織に従順で他の模範となるような好青年であると捉えられているような体育会系思想を持った者は、悪人よりも二重に悪である。
165.幸せそうな人を模範に
すごそうな人よりも幸せそうな人を模範にした方が良い。
しかしながら、全面的に模倣しようとしたり、個別具体的な方法を直接模倣するよりも、そのエッセンスを取り出して応用するという形が望ましい。
もちろん、個別具体的な何かに執着してはならない。
166.レバレッジの説明
借り入れをして少しずつ返す、という形で資産なりを膨らませておくというようなことは理屈上は正しいが、消費しか知らない者はまた別の視点で解釈し、負債だけを残すということになりかねないため、この手の理屈を説く時は、但し書きが必要になると考えてしまう。
167.自然発生したものかのような装い
「こういう時代になった」というような、今の時代としては主流となっているような形は、自然発生したのではなく、直接的ではないにしろ各種制度によって作り上げられた社会状況である。
168.必要な対応
どれだけ意気消沈し、あらゆることへの熱意が無くなっていても、本当に必要なことについては、最低限の対応を自然とこなすことができる。
169.自分への驚き
過去を振り返ると、それは本当に自分が為したことなのかと、驚くような時が稀にある。
同様のことを再現できるのかとその場で自問すると、できる自信がないようなことでも、後には何故かまたそれ以上のことをやり遂げている、というようなこともある。
170.力みへの気づき
苦を感じる時、概ねどこかしらに恐怖心や執著による力みが潜んでいる。
その力みに気づき、「この場の心にとって、それが本当に必要なら必要な通りになり、必要ではないのであれば、自然と消えていくだろう」ということを思い浮かべると、力みや苦が消滅する。
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