よりよい人間たち!

社会をより良くしていこうとするのはいいのですが、たいていの場合弱者にばかり合わせる形で玄人を制限し、あげく「選べない」という形で辟易させ、結果社会の加速を制限していることにそろそろ気付きましょう。

すごくわかりやすいのはガスコンロでしょうか。

「天ぷらを揚げている途中に電話がかかってきて長電話になり、天ぷら油から火災が発生」

という事が多すぎて、強火のままでいきたいのに「カチッ」と勝手に弱火になり、調理の流れが制限されるということが起こっています。

またそのセンサー的出っ張りのせいで軽めの鍋が傾くということがよく起こります。それが調理の流れを狂わせてしまいます。

弱者にだけ配慮しその他の人を制限する

問題は「一つのことしかできない人」にあるはずですが、そういう人に合わせて配慮されているせいで、数多くの普通の人、玄人が迷惑をしています。

そういう機能があることは別にいいのですが、「選べるようにしろ!」ということです。モード切替ができるようにも配慮しましょうという感じです。

そう言えば沖縄に行った時に借りたレンタカーですが、自動ブレーキのようなものがついていました。

「運転しにくい」

という感じです。

高速道路の追い抜きなどは、時に一気に行ったほうが安全である場面があります。

ところが踏むと同時に勝手にブレーキがかかるのです。

これも運転が下手な人に合わせて配慮されているという流れです。オン、オフもあるのかもしれませんが、レンタカーのためそれもよくわかりませんでした。

弱者に合わせて配慮するということがいけないわけではないのですが、弱者に「だけ」合わせて、「強制的に選べないようにして」その他の人を「制限する」のをやめろ、という感じです。

それは路上喫煙禁止もそうですし、女性専用車両も同じです。

一方向しか見えない人たち

「おっさんと同じ便座を使うのは嫌だ」

という事を言う人がいて、女性専用トイレができました。

ここで考えてみたいのは、「おっさんと同じ便座を使うのは嫌だ。おっさんがケツを拭いた手で開けたドアノブを触るのが嫌だ」

という思考自体もおかしいのですが、まあマイノリティとしてそんなことを思っている人がいてもおかしくはないという感じで、ひとまずはさておきましょう。

何が問題かというと、

「その逆はありえない」

と勝手に思っていることです。

「ブルーチーズの臭いがする女と同じ便座を使うのは嫌だ」

と思っているおっさんもいるかもしれないのです。

陰風に眼くらみて

だから正しい議論をしようと思えば、

「おっさんと同じ便座を使うのは嫌だ。だから分けて欲しい。

同じように女と同じ便座を使うのは嫌だと思っている人もいるかもしれないから」

です。

自分が嫌ならその逆もありえるということを想起するべきなのですが、自分の都合しか考えられません。

そういう人が政治をしてはいけませんし、メディアに出てもいけないのです。

「タバコが嫌いだ」

という人もいると思いますが、

「タバコが嫌いだという人が嫌いだ」

という人もいるのです。

行政や寡占企業なら「私たちのルールです」と押し付けもできるかもしれませんが、民間企業でサービス業なら、そうした義務教育的な発想は売上に影響を与えるはずです。

臭い、健康に悪い、という面で言えば、化粧品の匂いもなんだかんだで吐気がするものです。

だから、「制限」ではなく棲み分けが正しいのです。

どちらか一方を制限してというよりも、双方がうまくいくように何とかするべきなのです。

ということで、化粧品のニオイが嫌な人に合わせて男性専用車両を作ってもいいはずです。

でもそれは議題に上がりません。なぜなら、騒がないからです。

騒ぐほどのことでもなく、究極は電車に乗らなければいいからです。

世の中には何かしらの理由をつけて「弱者」を装い、モテを武器にし、自分の都合を押し付けてくる人達がたくさんいます。

そしてそれに合わせていくたび、変な世の中になっていくのです。

ヨーロッパ的でなく、高尚でない

よりよい人間たち!


女ぎらい

女の意見は調べた結果と自分の都合

Category:曙光(ニーチェ) / 第三書

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