やわらかな陽の中で

陰と陽が統合された感覚を得てから、法人設立当時の感覚が続いています。何かしらの結果が出ても出なくても楽しいような感じですね。

そしてやたらといろいろな人とよく接するようになりました。

宅急便のお兄さんにすら「集荷の電話受付がAIのやつになってましたね」などと声をかけたりしてしまいます(ちなみにAIのやつは何も便利なものではなく、時間を浪費する感じです。お兄さんも「評判悪いですね」などと言って帰られました)。

一方、変なお客にもたまに当たったりします。まあ謎の上から目線的なやつですね。もちろん無視して爆笑しています。

日常はそのような感じですが、ひとつだけ懸念がありました。

それは「何かしらのイベント事等でモードが変わった時、この感覚がなくなってしまうのではないか?」というものです。

若い時はそのようなことはよくありました。

藤子不二雄A氏のまんが道で出てくる「どこにいても続きは描けるだろうと思って故郷に帰省したら1ページも描けなくなった現象」です。

で、普段ならそのような感じにならないように、イベントごとを挟まないようにするところですが、娘との付き合いを含め家族イベントは避けることができません。

避けることができないのならば、さらに能動的にイベントごとを作ってみようということで、休日にいろいろと予定を入れてみました。

結果的には「何の影響もなく」という感じです。つまり熱量は続いています。

娘の同級生とそのファミリーと一緒に軽いハイキング、ピクニックのようなことをしたりしてみました。

多少は話したことがありますが、ほぼ初対面のようなものです。

体調が悪いとそのようなことは必ず避けるところですが、特に何も気にならないどころか、企画したのは僕だったので、ある程度楽しみにして向かいました。

木々に囲まれ、やわらかな陽の中で、日常の中ではこの上ない安らぎの感じを味わいました。

「さあこの感覚がどう出るか?調子を崩してしまうのではないか?」というところが気になるところでしたが、特にプラスにもマイナスにも働かない感じでした。つまり、感覚的には「影響なし」です。

ただ、そういう経験を経て気づきましたが、現代においてはリアルな相談というものが不足しているのではないかということを感じたりしました。

AIによる回答や検索による情報などがあるゆえに、そちらで調べてから話をしてくださいというような空気感があるような気がしました。

しかしながら、まともな回答はそうしたところにはまったくない場合もあります。もちろんある場合もあります。

特に育児関係や母の介護関係など「専門家ですらお手上げ」ということもよくあります。そうした中で、当たり障りのない一般論ばかり繰り広げられている空間にまともな回答を期待するのはなかなか絶望的です。

何より相談というか、話をすることで相手の頭もこちらの頭もまとまることがよくあります。こうしたところは機械に代替させることは難しいのではないかと思います。

そういえばContactからご連絡をいただく中には、ご連絡に対する返信をお送りする前に「何となくわかりました」と追加でご連絡をいただくようなことが稀にあります。

僕という一種の人格というか情報に対して多少の意識を向けて、ご自身で文を記述されている中で、ご自身で勝手に気づかれることがあるという感じなのでしょう。

何となくその感覚はわかります。

何かしらの結果が出ても出なくても楽しいような感じで起業家的な感覚が続いています。

ただ創業当初と違うのは、無駄な力が入っていないことです。

それ以外考えられないという感じでもありません。普通に夕方に娘と散歩に行ったりしています。

無駄な力も入っていませんし、何より無駄な思考が出てきません。

やわらかな陽に少しの恐怖がありましたが、結局大丈夫だったということが良かったのかもしれません。

「毎日一応全力」な感じが続いています。

Category:miscellaneous notes 雑記

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