「自分は損をしている」
そう思いながらも「それで誰かが幸せになるなら」と思ってしまう場合は、何かを変な目で見ています。
自分は損をしている、という点も変ですが、そういうふうに思うのも100%避ける必要はありません。損をしているという感想もまずは肯定しておいた方が無難です。
損をしていると思うのは、どういった理由だからでしょうか。
そこをもう一度深く深く考えるきっかけにさえなれば、そういう感情やそういう経験はすごく楽しいものになってきます。
激しいほど怒り狂ってみよう
海外にいるとき、詐欺師というかぼったくりの商売人にわざと引っかかったことがあります。
わざとです。
なぜわざわざぼったくりの商売人に意図的に引っかかったかという点についてですが、「そこで感じる感情や弁護の思考を生み出してみたかったから」というのが一番の理由です。
実際に経験してみなければ、様々なコントラストや思考は発生してきません。
どんな本を読んでも、「気をつけましょう」とか普通の義務教育的な事しか書いていません。誰に聞いても、「自分は甘かった」「馬鹿だったなぁ」とかそういう感想しか聞かせてくれません。
そこで自分でわざとひっかかってみることにしました。
こんな時に生まれてくる思考や感情は学校では買えません。「一生に一度くらいならいいだろう」ということで、ひっかかってみました。
それでまずはどういった思考がめぐるのかということを確認しました。
自己弁護
よくあるのが自分を、または相手を弁護するような言い訳です。
騙されていたり、たかられているにも関わらず、自分の行動との一貫性を保つために、見事に弁護するような言い訳が出てきます。
「誰かの生活の面倒をみることができた」
「勉強させてもらった」
「慈善団体を通さずに100%の純度で資金を提供できた」
また、こんな憐れみも出てきます。
「この人たちはこのようなことをしなくてはならないほど貧しいんだ」
「このような環境で育ってしまえば、こうなるのも当然なのだろう」
こういった考えを満喫したあと、次は感情に従ってみました。
爆ギレ
騙そうとしてきた輩やお金をたかってきた物乞いに、「日本人をなめるなよ!殺すぞ!」というような気迫で攻めてみました。
「警察に行こうか?」
そういった実社会的な攻め方もしてみました。
そういう雰囲気を出し続けていると、そういった類の人は近寄ってこなくなりました。
たまにそういう人は現れますが、少し気迫を出すと、すごく気を遣いだします。そして、徐々に言い訳を組み立てて逃げていくようになりました。
「なぜお前らにやらなくてはならないのか」
その感情をフル動員してみました。
完全に主観的に
都合のいいことを言う人たちに合わせる必要はありません。
世の中には「全体主義」という思想があります。ただの一ジャンルとして趣味でやってもらう分にはいいのですが、社会的利益を根拠に何かの説得材料として悪用されているに過ぎません。
チームのために、会社のために、家族のために、国家のために
それはすべて妄想にしか過ぎません。
自分の想像の範囲を超えるものではないからです。
世界を認識しているのは自分の体という一箇所しかないのに、困ったことに「アイツ」は想像力を駆使して幻影を見せてきます。
全体主義的な考え方を捨て自分の楽しみだけに集中してみる
一度そういう全体主義的な考え方を捨てて、自分の楽しみだけに集中してみてはいかがでしょうか。
そのためには、周りのみんなが「焼肉を食いに行きたい」と言っている時に、誘いを断って独りで「やきそば」を食べに行くというような覚悟が必要です。
ただ、みんなで行こう、みんなに「やきそば」を食べさせようと思ってはいけません。
「嫌われるのではないか?」
そういった心配はありません。
そのような多様性を認めない群れにこそ問題があります。
いじめてくるようなら半殺しにするくらいの覚悟を持ちましょう。
「自分を傷つける全存在を認めない」
一度そう言う気迫に浸ってみてください。
「すぐ」かはわかりませんが、いずれ親友ができますよ。
やさしくてもかまわない
自分より他人を優先できることは尊いと教えられてきました。利他的に生きることは美しいというふうに教育されてきました。
それは、そうでないと生徒を管理する側の先生が、または育てる側の保護者が、社員を管理する側の会社などにとって都合が悪いからです。
自発的に他人に尽くせてしまうくらい満たされている状態というのがあります。
それは自分が完全に満たされているどころか、「満たされてるって何?」くらいの状態になっている時です。
本来はそのような状態に1秒でも早く気づくことが大切ですが、どうしても優しい人は、自分のことが考えられません。
やさしくてもかまいません。ただ、自分にも、もっと愛情をもって尽くしてみましょう。
そこまで手がまわらないのなら、他人に優しくしている分を切り捨てて、自分にだけ向けましょう。
そして、また他人に向かえばいいじゃないですか。
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