20代の頃、天川村に行ってから第一の覚醒が起こった時の僕は、その後の人生が全て明るいものになると思っていました。
(その覚醒の詳細は「最初に病が治った思い出の地へ」で触れていました)
その調子で行けば、もしかするともっと明るい人生になっていたのではないか、とも思いますが、結局そこから寄り道をしてしまったのはなぜなのか、そして、なぜあのときの感覚を取り戻せずにいて、取り戻したいと思うのかということを10年以上も時折考えていました。
日々特に煩いはなく落ち着いてはいますが、なぜあの時のような、「挨拶をしても無視するような変人のおじさんに挨拶を返してもらう」ということができるくらいに底抜けに明るい感じが戻らないのかということをずっと考えていました。
それはやはり、その後の途中であった挫折のようなものなのかもしれません。
「底抜けに明るい感じ」
その感覚自体は既に経験済みです。しかし感覚を知っていても、増幅して固定化することができません。
ということは、やはりマイナス要因が大きすぎるということです。それは「不要な情報」と表現することもできますし、ちょっと怪しい目に言えば「邪気」と表現することもできます。
やはり就職活動くらいの時、そして新入社員時代の経験が「職歴、職務経験」と引き換えに奪っていったような感じはあります。
大きなインパクトとなっていたものは2つあります。
ひとつは、やはり「苦しみへの勇気」や「南風の風下で」で触れていた、自分の本心とは異なる方向へと無理に自分をシフトしたことです。
そしてもう一つは、新入社員時代に「能ある鷹は爪を隠すおじさん(「才気を隠す」等で触れています)」のある一言です。
それは新入社員時代に「挨拶をしても無視するような変人のおじさんに挨拶を返してもらう」という感じでいこうとすると「万人には通用しないぞ」的なことを言われたという経験です。
「静かな人には疎がられるぞ」というようなことを諭されたような感じです。
まあ確かにその「能ある鷹は爪を隠すおじさん」にはある意味通用していないので「そうかもしれない」と思ってしまったということが原因です。
そこで「確かにそうかもしれないが、底抜けの明るさを貫く」という感じでいけばよかったのではないか、とずっと引っかかっていました。
「底抜けの明るさを貫く」というものをなぜ取り戻せなかったのかというところ、つまり「なぜ、底抜けに明るい感じを貫くということを貫けなかったのか」というところが一番の引っかかりです。
可能性として「静かな人には疎がられるぞ」という意見に対して「そうかもしれない」というのは論理的な正しさがありますが、「確かにそうかもしれないが、底抜けの明るさを貫く」ということも可能性として選択可能なはずです。ではなぜ「どうしても取り戻したかった感覚」を取り返すことができないのか?
ということです。
そこで「能ある鷹は爪を隠すおじさん」はなぜそんな事を言ってきたのかというところを本格的に捉え直すことにしました。
今その「底抜けに明るい感覚」があまり無いことを、年齢等のせいにすることは避けます。生理的、生物的な加齢は脇において、結局何かの情報がそうさせている、生存確率を高めるための最適化として「あの感覚」を取り戻させないようにしている、という前提で考え直しました。
僕は当時何に負けたのか?
そしてその負けの感覚がなぜ継続しているのか?なぜ維持しようとしているのか?
ということの観察です。
僕はあの時、何に負けたのか?
それは、妬みです。
就職活動前のやり取りであれ、新入社員時代の経験であれ、彼、彼女たちの言い分はすべて妬みから発生したものです。
つまり、僕に限らずですが、若い人は年配者からの嫉妬によって平凡に引きずられてしまうということです。
人生で一番妬みを受けたのが新入社員時代でした。
モロにわかるようなものは、縁を切る等々あえて弾き返すことができますが、一見善意に見えるようなものは知らぬ間に意識の奥底に忍び込んできます。
「常に勢いよく明るく接することは、静かな人には疎がられるぞ」
それは確かにそうですが、最近身内の方が亡くなった等々特別な事情がない限り、底抜けの明るさを疎がるような人は静かなのではなく面白くないだけの人です。
面白くない人は、どちらに転んでも面白くない思考をして念を送ってきます。どうせこちらの状態が良くなければ非難や嘲りがやってきて、良ければ良いで嫉妬がやってくるというだけです。
寡黙な方のおばあちゃんは、物静かな人でしたが、非難も嘲りも妬みも嫉みも口にしたことはありませんでした。明るく接すれば微笑むという感じでした。
だから「能ある鷹は爪を隠すおじさん」の言っていることは間違いです。明るさを疎がるような人は静かなのではなく面白くないだけです。
―
ただ、そういう人も、最初は「明るさ」が不快ですが、強烈な明るさに押し切られると多少明るくなってきます。
「この人はこういう人だから仕方がない」という感想を持ったり、同調して明るくなったり、嫉妬が羨望に変わったりという感じで、結局うまくいきます。そうでなければ縁が切れるという形でうまくいきます。
僕はそのことを知っていたはずなのに、長年の様々な形の「嫉妬」という不要情報を浴びて、本領を発揮できずにいました。
底抜けに明るく挨拶をして、相手は無視をしてきたとしたら、それは相手が面白くない人なだけであって、自分に非はありません。
それを知っていながら、明るさが全開にならなかったのは、どうしても取り戻したかったその感覚が完全には戻らなかったのは、自分に浴びせられた嫉妬、そして家族という「日常において重要度が高いもの」が世間で浴びせられる嫉妬の間接的影響だったということに最近気づきました。
なぜ負けの感覚を維持しようとしているのか?
それは嫉妬という不要情報をそれが何であるのかがわからずに体感覚だけで捉えていたこと、そして家族が浴びる嫉妬の間接的影響もあること、そこから現状の最適化として「嫉妬を浴びることを回避しようとすること」を無意識的選択として採用しているという構造がありました。
自分や家族の幸福の最大化を意図する場合、自分単独の時は除外したとしても家族と共にいる時、家族が世間に向けられる嫉妬を回避もしくは低減させることが最適であると無意識的判断をしていたという感じになります。
そのために明るさを抑制していたという感じになるのかもしれません。
明らかに良いことをしていても、非難はされませんが時に妬まれます。
細かい話をすれば、参観日に夫婦で参加するだけで、単独で来ている人に妬まれます。母の車椅子を押して病院に行くだけで、待合で高齢者に妬まれます。
もちろんすべての人からではありません。しかし数が多くなると一定数そのような人が混じってきます。
僕に妬みを送るのではなく、妻や娘や母に向ける人もいます。それをまた解消しなければならないというような「不要情報」を僕が間接的に浴びることになります。
善意のようなもの、論理的な正しさがあるようなものでもその奥にあるものは妬みであるという場合も多々あります。
―
という中ですが、そんな不要情報がくっついていたことに気づけば、それを時空の彼方に消してやれば解決です。
ということで感覚が戻ってきました。
相手の暗さが消えるほどの明るさを持てば良いというだけです。
最終更新日: