2020年が終わります。何かとイレギュラーな感じになったこの年ですが、同時にいろいろなことが明るみに出るような感じだったような気もします。社会的な影響に関して、個人的には特に何の憂いもなく過ごすことができました。
12月生まれということで37歳になりました。
36歳というと30代半ばと言う感じがしますが、37歳というと40代が見えてくる感じがします。しかしながら35歳理論に基づくように、年々精神年齢は逆行していっています。
日常のオバQ的要素 ~鼾王として
ご飯を盛る量や犬への恐怖など、Q太郎との重複率はまあまあ高いのですが、その中でもとりわけ特記すべき類似点として、日常的な鼾(いびき)という点が挙げられます。
「微かなものを含めれば365/365」という感じで日常的に鼾を轟かせているわけですが、その影響で「起きると喉がカラカラでちょっと痛い」というようなことがよく起こったりします。
喉の乾き率でささやくような鼾だったのか、怪獣のような轟音だったのかがだいたいわかります。いびきは「鼾」と書きますが、結局乾きを感じるのは喉だったりします。
いびきの音=丸太をのこぎりで切る音
ちなみに鼾の音は、国際的には丸太をのこぎりで切る音という感じの認識が多いようで、海外のイラスト画や漫画ではそのように表現される事が多いようです。
しかしながら、最強クラスの鼾の轟音に最も類似しているのは、大型のポリバケツをのこぎりで切る音です。
ポリバケツを切る音
かなり前ですが、近所のおばさんがゴミ袋に入らないサイズのポリバケツを捨てようと、のこぎりでバケツを切っていた時に響き渡った轟音が、最も怪獣系の鼾に近いと思っています。
バケツ内部がアコースティックギターのサウンドホールのような働きをするため、音量は倍増します。構造としても喉の鳴りと類似しているため、「鼾の音=ポリバケツを切る音」というのが最も適切ではないかと思ったりもしています。
今年は静かに淡々と
今年は何かとイレギュラーな感じの年となりました。
そんな中ですが、かつてから付き合いのある顧客だけでなく、今までとは異なる分野の新しいお客さんとの出会いにより、緩やかに、また、静かな中「淡々と増益」というありがたい結果となりました。
顧客からも新しい形での仕事が舞い込んできたりというような感じで、「普段とは少し違う」という感じでありながらコンスタントに収益を上げることができました。
なお、「今年も北陸方面から周ろう」という感じで思っていましたが、どうしても楽しみよりも「煩わしさを避ける」ということに意識が向くため、8月の温泉ツアーはあえて行きませんでした。
漫画を大量に読んで気づいた短期的な言語能力の低下
その分といっては何ですが、大量の漫画や小説を買い込み、読み込むことになりました。とりわけ今年は漫画の買い込みが多く、貸本時代の水木作品等々、ややマイナー作品を集めるような形になりました。
しかし漫画を読み込むと、業務メールを含めて普段の文章作成のスピードが遅くなるという現象が起こりました。そして、そうした現象が起こり出した際は、普通の本を読むと元に戻るという感覚を掴むこともできました。
ただ、文章量が多いということが影響しているのか、何故か一部の手塚作品ではそれが起こらないということも確認することができました。
これがかつて漫画を読むと頭が悪くなると言われたりした要因ではないか、と思ったりもしました。
絵と文で表現されたものに強い臨場感を持つと、描けるかどうかは別として、自分も「絵と文で表現する」というのがある意味最適となり、意志を文や話し言葉だけでは表現しきれなくなる、という現象が起こるという感じです。
そしてその一定時間言語的な表現の能力が低下するような感じが、「お勉強の分野」とはマッチしないということで「子供に悪影響である」ということが囁かれたのではないかという感じです。
ほとんどは、自分たちに馴染みのないもの、知らないものには恐怖心が起こり、それ否定するというような心理であると思いますが、かつて否定的に捉えられた要素のひとつとして、そんな要素のもあるのかなぁというようなことを思ったりしました。
それではまた来年!
最終更新日:
今年1年お疲れ様でした。いわゆる道路族関連の記事に置いての書き込みにおいてコメントを下さり、誠にありがとうございました。
一応の進捗ですが、2カ月ほど前にまた遊びが再開されまして、私も「手紙だけではここまでか」と感じ、色々な手段を試みました。その中で学んだのが「全ての人に好かれようとして生きていける訳がない」という事です。
警察に何度も通報し、相談し、警察にも「あ、こいつ相当ヤバいな。これ以上キレたらあっちの(ボール遊びや奇声を上げて遊ぶといった騒音を出してる側)に何するか分からないし傷害事件でもなったらもっとややこしくなるな」と思わせる事で真摯な対応を取ってもらえるようになったと思います。多分、私はこの近所で「神経過敏な奴があそこに住んでいる」というレッテルを貼られる様になったと自覚しております。引っ越し前にキチンと菓子折り持参のご挨拶をした上でのこの様な結果的評価は大変遺憾ですが、それでも世間体より「閑静な住宅街を保ちたい」「自宅では落ち着ける場所にしたい」という思いが勝ったので仕方ないなと納得しています。
前に投稿されたタイトルの「我こそは」で使われたニュアンスとは異なりますが、「私がこの騒音を何とかしなければ、私以外にも悩んでいる人の役に立てるはずだ」という思いからの行動でしたので「私以外の方もこれで救えたに違いない」と思いました。それでもご近所からは「ちょっとした(ちょっとじゃないですし、本当に閑静な住宅街なのです)子供の遊び声にでも敏感に反応するやばい奴がいる」と思われたであろう事も受け入れて来年を迎えなくてはなりませんがそれも仕方ないと思うしかありません。
(鼾の轟音は断続的な騒音ですが子供の奇声やボール遊びは「一定の間隔が空く」ので音が出るとドキっとするので本当に心臓に悪くたまったものではないのをBOSSUさんも過去の記事からご存じだと思います)
「これから行う行動により自分がどう思われるか」「これからどのような目で見られるか」という事を意識して行動、生活をしている人間は本当に増えたと思います。私も来年は改めて行動の前に「結果として自分が今後どうみられるか」を一歩立ち止まって考える事を心に留めておきたいと思います。
(オバQは鼾よりも食事量によるエンゲル係数への影響を気にした方が良いと思うのですが…)
道路族に関してはこれからも徹底的に「警察を介して」戦おうと思います。(警察に「絶対にあなた自身がそちらのお宅に行ってはいけません」と言われたので警察もかなりヤバイ人間と認定してくれたのだと思います…)
こんなコメントになってしまいましたが、来年も記事が更新されているか毎日チェックさせて頂きます。お身体に気を付けて下さい。では、横浜市のどこかから失礼致します。良いお年を。
コメントどうもありがとうございます。
そしてあけましておめでとうございます。
僕もなんだかんだで近所の人からは神経質な人として認識されていると思います。
しかしながらそれについて個人的には何とも思っていないどころか、「結果的に社会性が保たれるのであれば、自分自身がどう思われようとその方が良い」くらいに思っています。
不服が残るくらいなら納得できるまで何かを進めたほうが良いと思いますし、そこに公共性公益性を中心とした社会的意義も含まれるのであればなおさらだと思います。
いつもご愛読ありがとうございます。