お呼びでないことは百も承知

ずっと感じていた違和感の正体が先日わかったので書き記しておこうと思います。まあ根底にあるものは前々からわかっていたことではありますが、人と話すとどんどん露見していくものです。

幼稚園の行事に参加した時、保護者会会長の挨拶的なものがあったのですが、どうしても前々からその空気感に違和感というか不快感を感じていました。

「非Z会的な空気感からだろうか?」などと思っていましたが、別に友だち全員がZ会というわけでもないですし、数で言えば非Z会の方が友だちの数も多いので「違うか~」と一人で首を傾げていました。

入園してから気づきましたが、小学校のお受験をするような人も結構いるらしいところでした(僕としては妻が通っていてその当時の担任の先生が園長をされているという点、そして妻を含め白詰草の花冠を作ってくれた女の子の2/2が通っていた幼稚園という理由に基づき決めただけでした)。

帰り際に娘の友達のお母さんから「保護者会の会長に向いてそうですね」などと言っていただいたのですが、自然と言葉がスラスラ出てきました。

「僕みたいなのはお呼びじゃないですよ。

ああいうのは、老舗の何代目とかそういう潰れそうにもないところの社長に声がかかると思いますから。

どれだけ稼いでいても一代目というだけで信用しないと思いますよ。潰れる可能性がありますから。

潰れたら他の人に変わってもらおうというようなのも面倒じゃないですか。

だから潰れる可能性が低い会社のオーナー一族とかにしか声はかからないですよ。

もちろん、仮に声がかかってもお断りしますけど」

「そんなもんなんですかね」

「ということで、冒険心があるような人はお断りなんですよ。

親の言うことを聞いて無茶をしないような人、そういうのを求めていますから。こういうところは。

でも実際は大変ですけどね後継ぎさんも。

業種にもよりますけど親の残した古いやり方のまま時代は進んでいきますし、取引先が高齢で事業承継の話もなしに畳んじゃったりで…」

などとベラベラベラベラ驚くほど言葉が出てきました。

で、気づいてしまったわけです。

「親の都合を叶える『教育』機関」であることを。

親の会社は親の都合で作った会社です。その前の代からあるなら祖父母等々の都合で作った会社です。

そんなものを引き継ぐ義務はありません。

事業を引き継がせるというのは、一種の「自分の情報を残そう」運動の一環ですね。遺伝子だけでなく、そういう部分も残そうという意図です。

で、それに逆らわない人間に「教育」するのが、そういう教育機関なんです。

で、見事に仕上がったのが「保護者会会長」なんです(実際にどこぞの会社の何代目かの人らしいです)。

ということで、違和感と不快感があったわけです。

特に偉そうとかそういうのはないですが、何だか嫌な感じがプンプンしました。

おそらく根底には、主役である園児たちよりその親同士のメンツの方を優先している感じが出ていたからでしょう。

自分が親に支配されていた経歴があるから「子どもは親の都合のためにあるんだ」というニオイがするんです。

嫌なら親と縁を切って事業を始めても、どこかに勤めてもいいんです。

でもそれができないように「教育にお金をかけたりしてやっただろう」というような圧力などを加えつつ、そういう逆らわない人間に教育してくれる機関に入学させるんです。

そして周りもそうした人たちが多数派なので、はみ出し方がわからないんです。

そうして親に「知らんがな!」と一度も言えなかった人たちの集まりが保護者会の上層部です。

「俺はお前の息子である以前に一人の人間じゃ!」と一度も言えなかった人たちの集まりです。

「長男だから継ぐ」等々は、理屈が通っていそうで通っていません。

どのような人生を選ぶのかは個々人に委ねられていますから。

聞いてみると、「親のペットに自分の息子が噛まれて怪我をしても、親に文句の一つも言えない」という人もいるようです。会社を継いでいて、自分は社長、親は会長ですから。

それは関係なしに「ふざけんな!」と一人の男として殴り込みに行けないものかと思います。

行けないんでしょうね。

そういう人が保護者会に向いています。

ただ、女の人からするとそういう人のほうが支配しやすく都合が良いという面があります。

お金もあって、冒険もしないという感じですから(まあ家庭的ないざこざはどこかでありそうですが)。

ただ、メスの部分としては不満だらけになるのではないでしょうか。

誤解なきように弁解しておきますが、継ぐのがいけないわけではないんです。

継ぐほうが辛い、事業継続が難しいということもよくありますから。

ただ、どこかで自分を縛るような空間に一撃くらいは喰らわしておいた方が良いのではないかと思います。

「うちの会社はどうするんだ」と言われれば、「オーナーとして他の人に任せてもいいし、どこかに売ればいい。知らん。遺産もいらん」と言えばスッキリすると思います。

それなしに自分は幸せじゃないなどと嘆こうものなら、

「教育機関で何を学んできたのですか?」

と言いたくなります。

他の人のことはどうでも良いと言えばどうでも良いのですが、そうした構造を示しておかないと、「自分の意識の向きと自由を制限してしまうという点」が問題になっていきます。

誇りの面でも実際の感覚を掴めないまま一生が終わってしまうかもしれません。

そして、親としては「自分のエゴで、我が子の可能性と幸せを制限するということになる」ということに気付かねばなりません。

我が子の幸せより、自分の会社のほうが大切かい?

おやおやまさに「自我」っぽいね。

Category:miscellaneous notes 雑記

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