うぬぼれの強い人々

われわれは陳列店のようなものである。われわれはそこで、他人が与えてくれるわれわれの特質なものを、自分でいつも整頓したり、覆い隠したり、光に当てたりする。ー 自分を欺くためである。 曙光 385

男女ともにうぬぼれの強い人はいつの時代でもたくさんいます。「うぬぼれがかっこ悪い」ということが問題ではなく、うぬぼれの根底は恐怖心であるというようなことが問題です。

うぬぼれは、他人に対して主張しているとか、意識の中で作り上げた架空の他人を説得しているような構造になっており、根底に恐怖心や分離という感覚がない限りそうしたものは出てきません。

それが現実的な金銭面であったり、心理的なパワーバランスであったりということはもちろん、自分自身の中で自分に対する評価を行う時に、強がりのような、「これで大丈夫だと安心したい」という気持ちがないとうぬぼれというのは出てこないはずです。

頭のいい人が負け、バカが勝つ時

理性的に考えれば、うぬぼれているバカよりも、謙遜している頭のいい人が勝ちそうなものですが、現実的には逆であることが結構あります。

ちょっと前「実践的対処法 身体側からのアプローチ」で書いていますが、腹は結構重要です。

交渉の本質 アイツの判断による小手先のテクニックを追うな」で触れていますが、動物的なパワーバランスで勝負が決まることも結構あります。

心身ともに強靭でない限り、基本的に頭に意識が向いている人は腹に力が入らず、逆に頭をあまり使わない人は腹に力が入っています。

傍から見ると「うぬぼれ」に見えるような状態であっても、バカ故にそれを本気で受け入れ、腹に気力がある状態にある人は、なかなかの動物的パワーを持っています。

一方、自らを欺く形で、自己説得としての「うぬぼれ」をしていた場合、その葛藤などから、気力的にもパワーはかなりダウンします。

何かの勝負事を客観的に見た時、普通はスペック的な客観的に誰にでも説明できそうな事柄などで勝因・敗因を見極めようとしますが、実はそんなところに答えはなく、自分自身の目標達成能力を自分でどれほど評価しているかや、根本的な気力の差なんかで決まっているというのが本当のところだったりします。

ずうずうしいおばさんと弱った営業マン

「お客様は神様のはずだ。そして私はお客側だ。だから私は偉いんだ。すべて私に決定権があるんだ」と本気で思い込んでいる胆力全開の「ずうずうしいおばさん」と、

一流大学出で知的ながら今現在勤め人で営業マンをしており、「僕は一流の会社の社員だ」と日常はうぬぼれながらも、一方で営業成績が伸びず気力体力ともに弱っているヒョロヒョロの男性が、交渉しているところを思い浮かべてみましょう。

「そう言われましても…」

「そう言われましてもじゃない!なんとかしろ!」

「えーっと。えーっと」

「それくらい当然でしょ!」

「えーっとじゃあ…僕が代わりに…」

何となく想像できますね。

こうして、本来はやらなくてもいいような範囲のことまで無償でやる羽目になったりします。

一方バカでも腹の強い人なら

「何厚かましいこと言ってんだバカ野郎!じゃあ他をあたれ!」

と胆力勝負になるでしょうし、

頭に意識が上がっていても、腹がしっかりしていれば、

「そうなりますと、弊社ではお取り扱いできません」

と冷静に対応するでしょう。

耳をもたない賢明さ

鉄面皮との天王山

うぬぼれの強い人々 曙光 385

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ