聴講の学生たちを見まわすと

何故か大学生相手にお話する機会というものが稀にあります。

ほとんどが「産学連携的なものが主催の何か」ですが、ふと振り返ると、そのような場に出てくる学生さんは、いわば相当に積極性のある人達であり、僕の見ている「現代の大学生」は、おそらくトップ数%の人たちなのだろう、ということを思ったりしたことがあります。

高い集中力と質問の切れ味が、「ほう、なかなかやるな」という印象でしたが、考えてみると大学生というもの全体ではなく、その中の少数精鋭なのだということを改めて思い返したりしました。一応大学のレベルとしても「相当高いところ」であり、その中でさらにトップ数%ということになるので、当然といえば当然なのかもしれません。

相対的な尺度ができたことによる比較

それまでは意識したことがありませんでしたが、先日、いわゆる「レベルが低いとされている大学」の学生さんと接して、そんなことを実感してしまいました。

たまたまそれまではいわゆる「かなりレベルの高い大学」の人ばかりだったものの、相対的な尺度ができたので、否が応でも比較することになりました。

うーん。

「やはり今まで接してきた学生さんたちは、トップ数%中のトップ数%だったのだ」ということを思ってしまいました。

極端に恥を恐れる意識

もちろん、少なからず彼らより長く生きているので、僕が知っていたり、できることに対して、全く知らないとか考えたこともない、というのは問題がありません。

しかしながら、知らない、できない、ということは仕方がありませんが、「その手前の段階の話」という感じでした。

考えてみるように促しても、結局混乱だけが残り、「間違っていてもいいので答える」ということすらしないという感じでした。

まあ、それは大学に行ってお話をしたと言うよりも、知人の教え子さんだったので別にいいのですが、「『生中』と注文されて、ひとまず生搾りチューハイを持っていく」くらいの姿勢は持っていて欲しいと思いました。

飛び込む意識

ちなみに「思いっきり間違えたりして恥をかいたこと」は一気に記憶に残るので、わからなくてもどんどん答えるというのが正解です。

混乱して、緊張して、緊張が元でまた混乱して、という具合になるのであれば、とりあえず何かを吐き出してみるということのほうがいいはずですが、極端に恥を恐れる意識が組み込まれていて、もうそれを突破できないほどになっているという感じがしてしまいました。

そういうわけなので、実際の学習よりも、かなり手前段階として「飛び込む意識」の方が重要なんだなぁということを思ったりしました。

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