昨年の秋頃の話ですが、道を歩いていると小学生の集団とすれ違いました。小学校中学年くらいの男子集団です。
遠くから歩いてきた彼らは、選挙活動かのように
「何月何日に〇〇小学校で運動会があります。見に来てください」
と、誰に言うでもなく、誰にでも言っているような感じで行進していました。
「そりゃあまあ年頃の男子たるもの勇姿を見てもらいたいだろう」
と思いながらだんだん距離が近づいた頃、再度「何月何日に〇〇小学校で運動会があります。ぜひ見に来てください」という声が聞こえました。
すると脇にいた一人が
「来てくれたら100億円がもらえます」
と副題かのようにこっそりつぶやきました。間やトーンなど全てにおいて完璧でした。
「くそっ!くそっ!」
と、嫉妬にも似た気持ちが沸き起こってきました。
小学生にとって最も身近にある100円の100という数字と、小学生にとって最も馴染みのある「想像を絶する大金」の単位「億」が組み合わさった「100億円」という金額を出してくるその感覚、それこそが僕が忘れていたような感覚です。
普通の感覚であればスルーしてしまうようなところなのかもしれませんが、僕は一人、その場で「くそーっ!くそっー!」と頭を掻き毟ってしまいました。
その後、藤崎マーケットの漫才を見た時、小学生男子が水を飲んで「ふう、回復」とつぶやく描写のシーンがあった瞬間、再び「あーっ!あーっ!」と頭を掻き毟ってしまいました。
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それからしばらくして、藤子・F・不二雄作品を爆買したのですが、結局手に取ったものは哲学的感覚に優れた短編集ばかりという感じになり、「やっぱりすごいなぁ」という普段どおりの反応を示す程度でした。
「あー…どうしたものか」
そう思ってはいましたが、先日「ウメ星デンカ」を読んだ時のことです。
ところどころにはなりますが、凄まじく爆笑してしましました。
あまりに笑っているので周りの人々に怪訝な顔をされてしまいました。なので「読んだらわかる」とウメ星デンカを読んでもらいましたが、「どの部分かわからない」と言われてしまいました。
「コロコロ育ちで良かった」と思ってしまいました(なお、ウメ星デンカはコロコロ創刊以前の古い作品であり、サンデー等々に掲載されていた作品のようです)。
爆笑できたということは、多少感覚が戻ったということのような気がしたので少し安堵しました。
同級生たちと作ったオリジナルすごろく
そう考えるとやはり小学校中学年から高学年に差し掛かる頃、同級生たちと自作のすごろくやオリジナルバトルえんぴつを作っていたことを思い出したりします。
オリジナルすごろくにおいて「マスに止まって手に入れるもの」は「セガサターン」等々を含め本当に自分たちが欲しい物ばかりでした。もちろんその中には「タフマンを手に入れた」というようなものもあり、マスの中や脇にイラストの得意な同級生がイラストとセリフを書き込んだりしていました。
たいてい「小学生の頃に戻りたい」というと「責任がない時期に戻りたい」ということを意味しそうですが、僕としては「表現において自分の気持ちをすべて投影できていた」という意味でそうした眠る感覚との再会を果たしたいという部分の方が正しいという感じです。
近くの文房具屋さんでかなり大きな画用紙だけ買ってきて、屋根裏のような部屋で同級生たちと制限のない創造性に富んだ創作活動をするというあの楽しみの感覚が数ある楽しみの中でも一番の楽しいような気がします。
「イラストの得意な同級生はイラストを」という感じでしたが、僕は僕でゲーム性を高めるための仕組みづくりとマスの内容の決定を担当していました。もちろん内容の発案や決定は全員でしていましたし完全に分業という感じではないのですが、概ね役割の中心はそんな感じでした。
マスがどういう属性を持つかが決まったら即座にイラスト作成の依頼をし、ゲーム性に偏りが生じた時には「じゃあこのルールにしよう」などといいつつ、お互いに「さすが!」などと言い合いながら作り上げたすごろくは最高の思い出のひとつです。
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