目的に従って

あらゆる行為の中で、おそらく最も理解されないのは、目的に従った行為であろう。それはいつも最もわかりやすい行為として認められてきたからであり、われわれの意識にとって最も平凡なものであるからである。重大な問題は巷にある。 曙光 127

行動をせき止めているもの、現実の流れを堰き止めているもの、それは思考です。

できるかできないか、そうした検討が現実が進むことを止めています。

今目の前にコップに入った水があって、それを飲もうと思ったとき、思考が働き、対象に思考が働いていると現実は展開しません。そして、決断した時に実現可能性への思考はバイパスされます。

しかし厳密に考えれば、手に取った瞬間に地震が起こって水が溢れてしまうなどの可能性もゼロではありません。ただ、実現可能性は別としても、思考が止んだ時に実現へのプロセスは展開していきます。

思考が働いている間は実現が保留される

コップが2つあって、それぞれに水が入っている場合でも、「先ほど汲んだもの」と「昨日に汲んだもの」といった、属性の違う2つのものが目の前にあった場合、「先ほど汲んだものはどちらのコップだったか?」ということを考えている間は水を飲むという行動は実現していないはずです。

水を飲むという行動が実現に向かうためには、この2つの選択肢のうち「思い」を切ってどちらかを選択するか、共に選択せずに「新しい水を汲む」という行動を起こすことを決定する必要があります。

無意識的に行っている呼吸も、考えて実現可能かどうかなどを考えていない間はずっと実現しています。

しかし、何かのセミナーや講習に行って、「合図をするまでしばらく息を止めてください」と言われている間は、止まっています。思考が無意識の行動に介入しているからです。

こうした思考は、基本的に危険を回避することをメインとして使われています。動物としての人間が、生存本能をベースとして持っている機能といえば機能です。

ただ、基本的に思考が働いている間にはその思考対象は実現しません。

不安感ベースの思考が実現を妨げる

できるかできないか、という相談ばかりしている人は、たいてい本当に考えているわけでも、議論の質を高めたいわけでもなく、感情を落ち着けるために相談をしています。

具体的な方法論の模索でも何でもなく、「できるか?できないか?」などと言っている間は、単に不安感に苛まれているだけだったりします。

感情に苛まれ、思考上で混乱が起こっている場合は現実の流れが滞ります。

そうした不安感ベースの思考自体が、最も実現を妨げているものであることを知っておくと良いでしょう。

目的に従って 曙光 127

Category:曙光(ニーチェ) / 第二書

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