宣言効果とは、ある目標を達成するために、あらかじめ周囲に目標を宣言するとその目標の成功率が上がるという「思考は現実化する」が大好きな人などが大好きな心理効果。営業の部署などでありがちな外発的動機づけであり、周囲に宣言することで失敗はできないと自らプレッシャーを掛けることでモチベーションが上がるという元祖体育会系の思想を持つ人たちが根拠とするような心理効果である(本来、自分にプレッシャーを与えてはいけません。それは苦しいことである)。
宣言効果によるプレッシャーによって成功率が上がるというのは、プレッシャーがなければ成功しないということであり、強く願えば叶うんだ、ということは、強く願わなければ叶わない、という条件化になる(そこに気づいてる?)。
アファメーション
そこがいいんじゃない、そこがいいんじゃない 改でもお伝えしていたが、アファメーション(affirmation)はアイツを根負けさせる手法である(やってもやらなくてもいいですが、やって気分が良くなるのであればやっても良いだろう)。
厳密には宣言効果の示すものとアファメーションは若干異なる概念である。
通常宣言効果は、胡散臭いコンサルなどに吹聴された営業部などが、目標を紙に書かせてみんなの前で宣言させると、宣言した手前そのプレッシャーでより一層仕事をするだろうという貪りである。
一方、アファメーションとは自分に対してのみ行うものであり、無意識の恒常性維持機能を利用して自らを高めるものである。心地よい体感と共に、より良い自分像のリアリティを高めていくのがアファメーションである。
これら宣言効果やアファメーションは、「そうすれば叶う」というものではない。望むような経験は既にあるのだが、アイツこと自我はそれを見ることができない。そして自分の存在意義である不安や焦りを経験させようとして、何もできない割に騙そうとしてくる。そういう時にアイツを黙らせる場合には、気分が良くなるという点では有効となるだろう。
宣言効果の誤解
宣言効果は、自己都合を押し付けるために、人にプレッシャーを与えるためのものではない。そしてその奥では確実にストレスがかかっているはずである。
根本的に人に圧力をかけられて宣言する宣言は、義務にしかならないため外発的動機づけとなる(内発的動機づけと外発的動機づけ)。
いくら宣言しようが、それが単なる義務だった場合、所詮はそれを強要した人たちの自己都合であり、本人はやらされているだけなのだから、宣言効果によるリアリティよりも義務としての不快感のほうが勝ってしまう。
ある目的や目標に対して意識がセッティングされ、そこにリアリティを感じればその方向へと無意識が動く。ということで、「営業目標を書かせれば、その目標に向かうだろう」という胡散臭いコンサル級の浅い考えで宣言効果を利用しようとしてくる。
しかしながら、無意識が上手く働くのは、外から強制され義務化した「宣言内容」ではない。
ということで、宣言効果を狙って宣言をさせたところで、その内容には喜びなどの体感が入っておらず、かつ、「やりたいこと」ではなく「やらなければならないこと」へと変化するリスクもあるので逆効果になることもある。
宣言して何が変わるの?
宣言効果は、ある目標を達成するため周囲に目標を宣言すると、プレッシャーを感じてその目標の成功率が上がるということになるが、これは単に普段あれこれ飛び散っている意識を集中させるだけのことであり、その為の補助輪のようなものである。
でも、プレッシャーなんか感じなくても集中することはできる(苦しむことなく、である)。
でも、それより達成したい目標って何よ?
ブラック営業部にありがちな光景
宣言効果はブラック営業部でありがちな外発的動機づけである。
営業目標などを周りの人たちに宣言させたり、紙に書かせて壁に張り出すことでプレッシャーを与え、「目標達成しないと恥をかくぞ」とか「自分で書いたんだろ?」というような脅しをするために外部の圧力から「宣言をさせる」というような感じである。
「私は、今月売上を何百万円達成することに決めました」と紙に書かせて、みんなの前で宣言させたりする。
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そういうのは間違いだからやめようね!
そこには苦しみしか無いよ!
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