アフォリズム 81-90
- 81.聖典の言葉
- 82.科学的なものと再現性
- 83.書物により得れる範囲
- 84.企画の抜けた部分
- 85.君の偉業と私の関係
- 86.日々垂れ流している小銭
- 87.嫌なやつ
- 88.仲の深度
- 89.解釈や記憶と「苦」
- 90.気の狂れたような自信
81.聖典の言葉
聖典とされるようなものは、たいてい後世に編纂されており、本人の言葉でもない。エッセンスは含まれているにしろ、解釈した者の偏見が混じっている。
前提として、「本人の言葉だったとしたら何なのか?」という点も大いに残る。
だからこそ話半分の参考にしかならない。
82.科学的なものと再現性
再現性のあるものが科学的であるとされるが、根拠として乏しく、相関を示したものにしか過ぎないようなものが数多い。
科学的ではあるが、科学的であるだけである。
83.書物により得れる範囲
書物によって得たものは三割程度であり、ほとんどは体験と思考実験により得たものという感覚がある。
さらに、なぜそれを読もうと思ったのか、という点から考えれば、重要性として書物そのものの比重はそれほど高くない。
84.企画の抜けた部分
ビジネスプランのプレゼンテーションの質疑応答において「どうして他の人はその事業をやらないのだと思いますか?」と聞いた時、「他の人は気づいていないのだと思います」と答える者は、おそらく何事にも失敗していくだろう。
85.君の偉業と私の関係
君の偉業を評価してくれる者もいるだろうが、その偉業と私には何の関係もないということをどうか念頭に置いていただきたい。
86.日々垂れ流している小銭
大きな金額にたじろぐ前に、日々気にせずに垂れ流している小銭の総額を見るべきである。数十年となると、そのたじろいでいる大きな金額をはるかに超えているということもあるだろう。
利息があり複利計算が可能なものであれば、なおさら驚くべき数値を示すことになるだろう。
87.嫌なやつ
およそ嫌なやつにはきちんと嫌だと言った方が状況は良くなる。
嫌なやつであっても関わらなければならないという義務感が仕事を嫌なものにする。
嫌なやつと関わらなくても成り立つ仕事、仕事のあり方を選ぶべきである。
88.仲の深度
ある程度社会にさらされると、目の前の人との仲はこれくらいの範囲までで良いという制限がかかりやすくなる。
なので、歳を重ねるほど危険を避けることはうまくなるが、親友を作る機会は減る。
自分は開いていても相手が閉じているという場合もあるし、何か別の目的で付き合いが成り立っているだけという面も強い。そして、重要なものが千差万別になっている故に、深い関わりは生じなくなりやすい。
89.解釈や記憶と「苦」
「苦」は現象そのものよりも、現象への解釈がもたらすものがほとんどである。その根本には「我」と「こうあって欲しい」というものが潜んでいる。
その手の苦は、記憶によって再体験してしまう。
90.気の狂れたような自信
意識の性質として、自らはあまり知らない領域に対しては、相手の自信、確信のようなものを根拠に信用してしまうフシがある。
ただ、その自信、確信が、気の狂れたようなものである場合、問題や論理的な穴が見えていないか、見て見ぬふりをしている部分がどこかしらに潜んでいる。
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